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大阪地方裁判所 昭和62年(わ)4573号 判決

主文

被告人田代富士男及び同Aを懲役二年六月に、同Bを懲役一年六月に、同Cを懲役二年に、同Dを懲役三年に、同Eを懲役一年二月に、同Fを懲役二年に、それぞれ処する。

被告人七名に対し、この裁判の確定した日からいずれも三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人田代富士男から金一〇〇〇万円を追徴する。

訴訟費用中、証人石田英清、同松本泰徳、同八百村稔、同堀口修一、同越村安英、同吉田公一、同北田紘平、同井岡千鶴、同大越次男、同松脇正夫、同平田嘉孝、同福田明に支給した分は被告人田代富士男、同A、同B、同C、同Dの連帯負担とし、証人合田鉄市、同矢野正美、同稲谷弘年に支給した分は被告人A、同B、同C、同D、同E、同Fの連帯負担とする。

理由

(被告人らの身上経歴及び犯行に至る経緯)

第一  被告人らの身上、経歴

一  被告人田代富士男

被告人田代富士男は、昭和三一年九月聖教新聞社に入社し、同三三年五月からは大阪本社の広告部に所属していたが、同四〇年七月四日施行の参議院議員通常選挙に大阪地方区から公明党後任候補として立候補して当選し、同社を退社した。同被告人は、その後も同地方区から立候補して四期連続当選したが、本件による事情聴取を受けたのちの昭和六三年一月二五日議員を辞職するに至った。

同被告人は、参議院議員在任中数々の役職に就き、後記全自連と関係を持つようになってからだけでも内閣委員(昭和五四年一二月一八日から同五五年七月一七日まで)、予算委員(昭和五五年七月一七日から同五八年一月二四日まで)、商工委員(昭和五五年七月一七日から同六二年七月六日まで)、決算委員(昭和五九年一二月二一日から同六二年七月六日まで)、運輸委員長(昭和六二年七月六日から同年一一月六日まで)、社会労働委員(昭和六二年一一月六日から同六三年一月二五日まで)を歴任した。

また、同被告人は、公明党においても組織局長、参議院国会対策委員長、大阪府本部長、中央執行委員、副書記長、常任企画委員などの要職を歴任していたが、昭和六三年一月一八日離党している。

二  被告人A

被告人Aは、家業の土木建築業に従事した後、昭和一六年六月合名会社A商店を設立して代表社員に就任し、昭和三五年一月、土木建築、砕石砂利生産販売業等を目的としたA組土木興業株式会社を設立して代表取締役社長に就任し、昭和五七年一二月同社代表取締役社主に就任したが、本件による取調べを受けたのちである昭和六二年一〇月三一日、代表取締役社主を辞任した。

また、同被告人は、大阪府砂利石材協同組合(以下「府砂利組合」という場合がある。)の理事長、社団法人日本砂利協会副会長などの地位にあったが、昭和五〇年一〇月一七日、全国砂利石材自家用船組合連合会(以下「全自連」という場合がある。)が設立されるに伴いその会長に就任し、昭和六二年八月一一日の解散までその地位にあった(全自連解散当時は、全国砂利石材転用船組合連合会と改称されていた。)。

三  被告人B

被告人Bは、大阪市内の建材販売業者の下で働くなどした後、昭和三一年四月、土木工事石材販売を目的として大八建設株式会社(その後、立興建設株式会社と商号を変更)を設立して代表取締役社長に就任したが、昭和六二年一一月四日代表取締役社長を辞任した。

また、同被告人は、近畿地区石材協同組合(以下「近石組合」という場合がある。)理事であるとともに、全自連が設立されるに伴いその副会長(渉外担当)に就任し、解散までその地位にあった。

四  被告人C

被告人Cは、昭和九年四月から実兄の経営する砂利等建設資材販売、土木工事業を目的としたC商店で働き、昭和二二年六月、砂利石材採取販売業等を目的とした株式会社C組(その後、ヤマト工業株式会社と商号を変更)を設立して代表取締役専務に就任し、実兄が引退したのを機に、代表取締役社長に就任したが、昭和六二年一一月九日代表取締役社長を辞任した。

また、同被告人は、近石組合理事であるとともに、全自連が設立された後、実兄を引き継いで、その副会長(解撤担当)に就任し、解散までその地位にあった。

五  被告人D

被告人Dは、父が経営する土木建築資材生産販売業D組で働き、昭和二七年ころ、父からD組を引き継ぐとともに、土木建築材料の生産販売業等を目的とする九州石材株式会社(その後、九石工業株式会社と商号を変更)の経営も引き受けて、D組の事業を吸収したうえ、同社代表取締役社長に就任したが、昭和六二年一二月一一日代表取締役社長を辞任した。

また、同被告人は、近石組合の理事長であるとともに、全自連が設立されるに伴いその副会長(経理担当)に就任し、解散までその地位にあった。

六  被告人E

被告人Eは、福岡市内の海運会社や大阪市内のビニール製造会社で勤務していたが、その間に海事代理士の資格を取得し、昭和四二年五月から兵庫県姫路市飾磨区でE海事事務所を開設し、海運局、法務局などに対する船舶関係の手続き代行業務を行い、現在に至っている。

同被告人は、全自連が設立されるに伴いその事務局長に就任し、昭和五三年以降は専務理事を兼任し、解散まで全自連の経理を含む事務全般を統括していた。

七  被告人F

被告人Fは、昭和三五年に来阪し、A組土木興業に就職し、ガス工事管理課長をしていた昭和五七年被告人Aの指示で、全自連への出向を命じられ、昭和六〇年三月まで全自連の専従職員として経理事務を担当していたが、その後A組土木興業に復帰したのちの昭和六二年一一月、本件を理由として同社を懲戒免職となった。

第二  犯行に至る経緯

いわゆる自家用砂利船の船主の多くは、砂利石材の採取、販売業者であり、自家用船舶を所有し、自ら砂利石材を販売先まで運送して売却することを事業内容としていたが、昭和四八年のオイルショックを契機に、自家用砂利船の船主と、内航海運業として砂利石材を運送するなどしていた営業砂利船の船主との間でシェアを巡り紛争が続発した。このため、営業船主側からの要請で、運輸省海運局内航課は、通達(昭和五〇年海内第五八号)により、自家用砂利船の営業類似行為に対する規制を厳しくしたところ、これまで通りの事業を続けることが困難となった自家用砂利船の船主らは、砂利業界の有力者であった被告人Aに助力を求め、Aらが中心となり、自家用砂利船と営業砂利船とを一本化して問題を解決しようと考え、昭和五〇年一〇月一七日全国砂利石材自家用船組合連合会、いわゆる全自連を結成した。

Aは、被告人B、同C、同Dらとともに、運輸省や、営業船の船主の加入する日本内航海運組合総連合会(以下「総連合」という場合がある。)との間で交渉を重ねることとなったが、交渉が難航したため、昭和五五年四月、Aらは、当時参議院議員であった被告人田代に問題解決を依頼し、同人がこの問題に関して内閣に対する国会法七四条に基く質問を行うなどして尽力した結果、同年一一月六日、総連合との間に最終的な協定(砂利船の正常化に関する協定)が成立し、昭和五七年一〇月一日、自家用船の営業船への転用が実現した(自家用船から営業船に転用した船のことを「営業転用船」又は「転用船」という。)。

しかし、右協定によれば、転用船については、いわゆる引当資格(業界の船腹量を適正に保つため、新たに船舶を建造する場合にはそれに見合う既存船舶を解撤しなければならず、その解撤に当てることのできる船舶資格のこと)が制限されており、当該船舶所有者とその相続人が営業を継続する限りにおいてはこれを認めるが、転用船を他人に売却すれば、その時点で営業船ではなくなり、引当資格を失うといういわゆる「一身限り」の制限が付されていた。このため、転用船の担保価値が低く、十分な融資が受けられず、転業や廃業すら困難になるという強い不満が出るようになり、右制限を撤廃し、転用船に既存の営業船と同一の引当資格を付与するよう引き続き、運輸省や総連合への陳情を繰り返し行っていたが、総連合の態度が強硬であり、容易に「一身限り」の制限を撤廃することができないと考え、対応に苦慮していたAらは、再び田代に、内閣に対する質問を依頼することによって、事態を打開しようと考えた。

(罪となるべき事実)

第一  被告人田代は、参議院議員として、法律案その他の議案を発議し、各種議案について質疑、討論、表決を行ったりする外、国会法七四条により国政全般に関し議長の承認を得て内閣に質問する(質問主意書の提出という方法で行う)などの職務に従事していたものであり、被告人Aは、前記のとおり全自連の会長として、被告人B、同C、同Dは同副会長として、自家用砂利船の営業船への転用が実現した後のいわゆる「一身限り」の制限の撤廃に向けて運輸省や総連合との交渉を重ねていたものであるが、

一  被告人田代は、昭和六〇年二月二日、大阪市中央区(当時南区)〈番地略〉所在の料亭「生尾」において、A、B、C、Dおよび前記Eの五名から、全自連のため、運輸省が総連合に対し、前記「一身限り」の制限を撤廃するよう行政指導を行うことなどを内容とする質問を内閣にされたい旨の請託を受け、続いて同年五月七日にも、「生尾」において、A、B、D、Eから同様の請託を受け、その報酬として贈与されるものであることを知りながら、同日(五月七日)、同所において、Aから現金一〇〇〇万円の供与を受け、もって自己の前記職務に関し請託を受けて賄賂を収受した。

二  被告人A、同B、同C、同Dは、全自連の専務理事兼事務局長Eを加えた五名共謀のうえ、前記一記載の日時、場所において、それぞれ田代に対し、前記の請託をなし、その報酬として前記の昭和六〇年五月七日、「生尾」において、現金一〇〇〇万円を供与し、もって田代の前記職務に関し賄賂を供与した。

第二  被告人Aは全自連の会長として、同会の現金、預金、有価証券等の出納・管理等を含む業務全般を統括していたもの、被告人Dは同会の会計担当副会長、同Eは専務理事兼事務局長、同Fは経理担当職員として、いずれも全自連の現金、預金、有価証券等の出納・管理等を行う業務に従事していたもの、被告人C、同Bはいずれも同会の副会長であるが、

一  被告人Dは、昭和五八年三月一七日、大阪市大正区泉尾〈番地略〉所在株式会社大阪銀行大正通支店において、全自連が同支店に有する金額一億円の定期預金を担保として差し入れて、全自連会長A名義で同支店から一五〇〇万円の融資を受け、利息を差し引いた一四九三万八一五四円を同支店支店長布藤雄治振出の自己宛小切手一通(額面一四九三万八一五四円)として受領して全自連のため業務上預かり保管中、同月一八日、同市北区梅田〈番地略〉所在近畿地区石材協同組合事務所において、被告人Dが経営する九石工業株式会社の運転資金に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手一通を着服して横領した。

二  被告人Dは、昭和五八年七月二八日、前記大阪銀行大正通支店において、全自連が有する前記定期預金を担保として差し入れて、全自連会長A名義で同支店から八五〇万円の融資を受け、利息を差し引いた八四四万七五一四円を同支店支店長布藤雄治振出の自己宛小切手一通(額面八〇〇万円)及び現金四四万七五一四円で受領して全自連のため業務上預かり保管中、同日、大阪市西成区潮路〈番地略〉所在株式会社三井銀行天下茶屋支店において、自己の株式買付代金の支払いなどの用途に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手一通を、同支店のD名義の当座預金口座へ入金するとともに右現金四四万七五一四円を着服して横領した。

三  被告人Dは、昭和五九年三月二七日、前記大阪銀行大正通支店において、全自連が有する前記定期預金を担保として差し入れて、全自連会長A名義で同支店から五〇〇〇万円の融資を受け、同支店支店長布藤雄治振出の自己宛小切手一通(額面五〇〇〇万円)を受領して全自連のため業務上預かり保管中、同日、前記三井銀行天下茶屋支店において、前記九石工業の運転資金に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手一通を、同支店の右九石工業名義の当座預金口座に入金して横領した。

四  被告人Dは、全自連経理担当副会長として、全自連代表者名義で小切手を振り出す権限を有していたが、その任務に背き、昭和五九年九月二五日、自己の利益を図る目的で、自己の株式買付代金の支払いに充てるため、前記全自連事務所において、振出人全自連会長A、額面七七〇万円の小切手一通を振り出したうえ、同日、全自連事務所において、株式会社野村証券大阪支店従業員に対し、右小切手を自己の株式買付代金として交付し、もって全自連に対し、同額の財産上の損害を加えた。

五  被告人A、同B、同C、同Dは、共謀のうえ、昭和五九年一〇月五日、大阪市西区阿波座〈番地略〉所在三菱銀行大阪西支店において、同支店係員から、同支店の、全自連会長A名義の普通預金口座中の資金を使用して、同支店支店長檜原恒一郎振出の自己宛小切手二通(額面一〇〇〇万円及び五〇〇万円)の振出交付を受けて全自連のため業務上預かり保管中、同日ころ、前記全自連事務所において、被告人Cの用途に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手二通を着服して横領した。

六  被告人A、同B、同C、同D、同E、同Fは、共謀のうえ、昭和五九年一〇月三一日、前記三菱銀行大阪西支店において、同支店の、全自連会長A名義の普通預金口座から現金四一六〇万一〇〇〇円の払戻しを受けて全自連のため業務上預かり保管中、同日、同支店において、ほしいままに、被告人Dの用途に充てる目的で、その内現金一〇〇〇万円を着服するとともに、被告人A、同B、同Cの用途に充てる目的で、現金三〇〇〇万円を、同日同支店に開設したD名義の普通預金口座に振込入金して、それぞれ横領した。

七  被告人A、同Dは、共謀のうえ、昭和五九年一二月二七日、前記三菱銀行大阪西支店において、同支店係員から、同支店の、全自連会長A名義の普通預金口座の資金を使用して同支店支店長檜原恒一郎振出の自己宛小切手一通(額面二〇〇〇万円)の振出交付を受けて全自連のため業務上預かり保管中、同日、大阪市北区西天満二丁目六番八号所在株式会社三井銀行堂島ビル支店において、被告人Aが代表理事を務める大阪府砂利石材協同組合の用途に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手一通を、同日開設した同協同組合副理事長武谷尚三名義の普通預金口座に入金して横領した。

八  被告人Fは、全自連の資金を、前記三菱銀行大阪西支店の全自連会長A名義の普通預金口座に入金して全自連のため業務上預かり保管中、昭和六〇年一月二一日、同支店において、自己の用途に充てる目的で、ほしいままに、同口座から一四二九万四五〇〇円の払戻しを受けたうえ、これを同支店の自己名義の普通預金口座に入金して横領した。

九  被告人A、同B、同C、同Dは、共謀のうえ、昭和六〇年三月一二日、前記三菱銀行大阪西支店において、同支店の、全自連会長A名義の普通預金口座から現金二〇〇〇万円の払戻しを受けて全自連のため業務上預かり保管中、同日、前記全自連事務所において、右被告人四名の用途に充てる目的で、ほしいままに、右現金二〇〇〇万円を着服して横領した。

一〇  被告人D、同Eは、共謀のうえ、昭和六〇年四月二二日、前記三菱銀行大阪西支店において、同支店の、全自連事務局長E名義の普通預金口座から現金七〇〇万円の払戻しを受けて全自連のため業務上預かり保管中、同日、前記全自連事務所において、被告人Dの株式の買付代金の支払いなどに充てる目的で、株式会社野村証券大阪支店従業員に対し、右現金の内六三一万八一六七円を同被告人の株式買付代金として交付するとともに、六八万一八三三円を着服して横領した。

一一  被告人Eは、昭和六〇年一一月一五日、前記全自連事務所において、山崎弘子及び佐々木興産株式会社(代表取締役佐々木信介)の全自連に対する船舶解撤納付金として、右山崎が振り出した小切手一通(額面二〇〇万円)を同人から受領し、全自連のため業務上預かり保管中、同月一六日、大阪市北区堂島〈番地略〉所在株式会社第一勧業銀行梅田新道支店において、自己の用途に充てる目的で、ほしいままに、右小切手一通を、自己が同支店に開設した桑原勝博名義の普通預金口座に入金して横領した。

一二  被告人D、同Eは、共謀のうえ、昭和六〇年一二月二四日、前記三菱銀行大阪西支店において、同支店係員から、同支店の、全自連会長A名義の普通預金口座の資金を使用して同支店支店長内田春彦振出の自己宛小切手一通(額面一〇〇〇万円)の振出交付を受けて全自連のため業務上預かり保管中、同月二六日、前記大阪銀行大正通支店において、前記九石工業の運転資金に充てる目的で、ほしいままに、右自己宛小切手一通を同支店の九石工業名義の当座預金口座に入金して横領した。

一三  被告人Eは、全自連の資金を、前記三菱銀行大阪西支店の全自連会長A名義の普通預金口座に入金して全自連のため業務上預かり保管中、昭和六一年五月二七日、同支店において、自己の用途に充てる目的で、ほしいままに、同口座から一六八万六〇〇〇円の払い戻しを受けたうえ、これを自己が同支店に開設した前記桑原勝博名義の普通預金口座に振込入金して横領した。

(証拠)〈省略〉

(説明―弁護人の主張に則して)

第一  贈賄、受託収賄について

一  弁護人の主張

被告人田代の弁護人は、昭和六〇年五月七日に現金一〇〇〇万円の授受があったことを認めながら、要旨次の①ないし⑦を主張して受託収賄罪の成立を争い、被告人A、同B、同C、同Dの弁護人らも右の主張を援用して贈賄罪の成立を争っている。

① 転用船の引当資格に「一身限り」の制限が付されているのは違法、不当である。

② この制限を撤廃するために運動した全自連および田代の活動は正当なものである。

③ 田代が全自連のために運輸省や総連合に陳情し、働きかける行為は、国会議員の職務行為ではなく、その密接関連行為でもない。

④ 国会法七四条の質問主意書の提出は、贈収賄の対象となる国会議員の職務権限とはいえない。

⑤ 本件質問主意書の提出につき全自連側の請託は存しない。

⑥ 本件一〇〇〇万円は政治献金であって賄賂ではない。

⑦ 少なくとも田代には、本件一〇〇〇万円が、質問主意書の提出に対する報酬であるという認識は全くなかった。

二  説明事項の整理

1 「一身限り」の制限が不当であるとの主張について

弁護人の主張①の根拠として主張するところは要するに、全自連と総連合との間の昭和五五年一一月六日付協定によって転用船の引当資格に「一身限り」の制限が付されたのであるが、そもそも、全自連が、砂利船を営業船に転用するために総連合と協議を重ね、協定を結ばなければならなくなったのは、前記昭和五〇年五月二〇日の運輸省海運局内航課長名の通達(海内五八号)が原因である。すなわち、同通達は、従来の自家用船の定義並びに自家用運送の判断基準を根本的に変更すると共に、自家用船の届出に関し「届出に係る船舶が内航運送の用に供されることによる内航海運業への影響等につき、当該届出人より当該船舶の稼働地に所在する海運組合を通じて日本内航海運組合総連合会の意見書を徴すること。」と定め、内航海運業法に基く運輸大臣に対する自家用船の届出につき、実質上総連合の同意を要する取扱いを定めたのである。しかし、自家用船の届出について運輸大臣が介入できるのは、内航海運業法二五条の三第一項によれば、同法二条の三第一項の規定による船腹量の最高限度が設定されている場合に限られるのであるが、右通達が出された当時その最高限度量の設定はなされていなかったのであるから、総連合の同意なくしては自家用船の届出が受理されない結果となる前記通達は何ら法的根拠がなかったのであるばかりか、右通達は、既存の砂利営業船主の団体である総連合傘下全海運砂利船部会の一方的申立によって出されたものであって不当であり、さらに、転用実現後に引当資格に差異を設けるのは、組合員の差別取扱いを禁ずる内航海運組合法一二条に違反する違法なものであるというのであり、この違法、不当な制限を撤廃するために取組んだ全自連および田代の活動は正当なものであって、筋を曲げるようなものではなかったというのが弁護人の主張(2)である。

しかし、仮りに「一身限り」の制限が違法、不当なものであったとしても、その撤廃のための活動の中に贈収賄に該当する事実があれば贈収賄罪は成立するのであって、活動の目的が正当であるとの一事をもってすべての活動が適法となるものでないことは明らかである。従って、当裁判所としては「一身限り」の制限の当否についての判断は示さないこととする。

2 運輸省等に対する働きかけについて

弁護人の主張③は、運輸省や総連合に対する働きかけについて職務関連性を争うものであるが、本件訴因における職務の内容は、国会法七四条に基く内閣に対する質問(質問主意書の提出)であり、運輸省や総連合に対する働きかけは、職務の内容としても、請託の対象としても訴因にあげられていない。

尤も、本件訴因の内容は、運輸省当局が、総連合に対し「一身限り」の制限を撤廃するよう行政指導を行うことを内容とする質問をされたい旨を請託したというのであるから、仮に、運輸省に対する働きかけが国会議員の職務行為ではなく、その密接関連行為でもないとするならば、質問主意書の提出という方法によって運輸省に働きかける行為も職務関連性がないのではないかという疑問も一応考えられるが、働きかけの方法の中に職務行為と認められるものがある以上、それは贈収賄の対象となるといわなければならない。

3 質問主意書の提出と国会議員の職務権限

本件贈収賄の訴因が掲げている「職務」は、前述のとおり、内閣に対する質問であるところ、弁護人はその主張④で、かかる質問は贈収賄の対象となる国会議員の職務権限とはいえない旨主張する。その論拠とするところは要旨次のとおりである。

国会議員の職務権限は、法律案その他国政に関する議案の発議をし、本会議に提出される議案、予算案等につき演説、質疑、動議提出、討論、表決等をし、自己の所属する委員会において質疑、動議提出、討論、表決等をし、また自己の所属しない委員会に対しては意見があるとして出席を求め、許可を得た上出席して意見を開陳すること、および憲法六二条の議院の国政調査権の行使に関し、当該議院の議員として調査、質疑、討論に関与することである。ところが本件で問題となっている国会法七四条の質問は、以上の質疑等とは全く性格の異るものであって、国政一般について議員が内閣に対して事実または内閣の所見を質すだけの制度であり、国会議員の本来の職務権限としての議員活動に関するものではなく、国会議員の一般的政治活動との関係で認められた、例えば国会図書館を利用して資料収集をなす権利等と同性質のものに過ぎないから、贈収賄の対象となる国会議員の職務権限といえないのはもとより、その密接関連行為ともいえない、というのである。

しかし、国会法七四条の質問は、国政一般について議員が内閣に対して事実または内閣の所見を質問する権能と解されている。その手続きは、簡明な主意書を議長に提出し(国会法七四条二項)、議長の承認を得たうえ(同条一項)、内閣に転送され(同法七五条一項)、内閣は、質問主意書を受け取った日から七日以内に答弁をしなければならず、その期間内に答弁をすることができないときは、その理由と答弁することができる期間を明示しなければならない(同条二項)こととなっている。このように、右質問権は、国会法によって、国会議員のみに認められ、内閣に対して答弁の義務を課すものであり、議員固有の権限といわなくてはならず、贈収賄の対象となる国会議員の職務権限であることは明らかである。

関係証拠によると、本件質問主意書に対しては、運輸省内では次官の決裁を得たうえ、更に、次官会議、閣議を経て答弁がなされており、その結果は官報にも掲載されるなど、運輸省内部に与える影響は大きいし、議院内閣制をとる現行法制上答弁内容についての拘束力も大きいと考えられる。

この点に関する弁護人の主張は採用できない。

4 質問と「一身限り」制限撤廃との関係

ここで、全自連が取り組んだ「一身限り」の制限の撤廃運動と運輸省あるいは総連合との関係、並びにそれらと本件で問題となっている国会法に基く質問とはどのような関係になるのかについてまとめておくこととする。

内航海運業法は、昭和四一年の改正で、それまで登録制であった営業船について許可制を導入し、「総トン数百トン以上又は長さ三十メートル以上の船舶による内航運送業若しくは内航船舶貸渡業又は内航運送取扱業を営もうとする者は、運輸大臣の許可を受けなければならない。」(三条一項)、「内航海運業者は、事業計画を変更しようとするときは、運輸大臣の認可を受けなければならない。」(八条一項本文)などの規定が設けられた。そしてその後間もなく出された運輸省の通達、昭和四二年海内一五七号「内航海運業法の一部を改正する法律の施行に伴う同法の運用及び事務処理について」によって、右の許認可申請には総連合の承認書が必要とされる取扱いとなった。

自家用(砂利)船(総トン数百トン以上又は長さ三十メートル以上のもの)が営業船に転用するということは正に「内航運送業等を営」むことになるのであるから、前記の法律および通達によって総連合の承認と運輸大臣の許可を要するものであるところ、前述の全自連と総連合との間の昭和五五年一一月六日付協定が総連合の「承認」を意味し、同五七年一〇月一日の転用実現が運輸大臣の「許可」を意味することになる。

ところが、総連合の右承認には、転用船の引当資格につき「一身限り」の制限がついていたのであるが、これをはずす権限を有するのは誰かといえば、まず第一に総連合といわざるを得ない。しかし、内航海運組合法によれば、運輸大臣は、海運組合の連合体たる総連合の設立認可権、解散命令権等を有し、更に総連合が行う船腹調整に関与する権限を有するなど、総連合を指導監督する立場にあり、「一身限り」の制限をはずすことについて運輸大臣すなわち運輸省も影響力を有していることは否定できない。

運輸大臣は、いうまでもなく内閣の一員であり、前述の国会法七四条に基く質問は、国政一般について議員が内閣に対して事実または内閣の所見を質すのであるから、右の質問によって、運輸大臣の総連合に対する影響力の行使を期待できるというそれぞれの関係になっていることが、証人越村安英の供述その他の関係証拠によって認められるところである。

5 受託収賄の成否

以上を前提に、受託収賄の事実を争う弁護人の主張⑤、⑥及び⑦、すなわち、質問主意書の提出につき全自連側の請託はなく、本件一〇〇〇万円は政治献金であって賄賂ではないこと、少なくとも田代はそのように信じて受領したものであること、の各主張についての判断を示すことになるが、最初に結論を端的に示せば、右請託については、後述する本件の背景事情に加え、昭和六〇年二月二日にいわゆるEメモ(検察官請求証拠等関係カード二七五、以下検二七五のように表示する。)を田代に渡していること、提出された質問主意書の内容の多くが右Eメモと一致していること、田代は、質問主意書提出前に全自連の幹部にその原稿を見せて了解をとっていることなどの事情を総合すると、Eの公判供述や贈賄側関係者の捜査段階における供述どおり、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日の両日に、判示の請託があったことが十分認められるし、政治献金であって賄賂ではないという点については、本件一〇〇〇万円は、全自連四役が例年田代に贈与していた五〇〇万円と別個に、前記請託を行った際に授受されたこと、田代はその後間もなく質問の準備にとりかかり、現に四〇日後には質問主意書を提出していること、右金銭は実質的には田代個人に帰属していることなどの事情を総合すると、本件金銭が内閣に対する質問の報酬ないしは謝礼として贈られたものであると認めるのが相当であり、田代自身もそのことを認識していたと判断される。

以下、本件贈収賄に至る経緯を述べたうえ、受託収賄の成否について、更に詳しく説明することとする。

三  本件贈収賄の背景事情

関係証拠によると、全自連の設立や全自連と総連合との関係及び田代の砂利船問題に対する関わり方等について以下の事実が認められる。

1 自家用砂利船と営業砂利船

建築資材や埋め立てに利用する砂利、石材を運搬する船舶は、砂利船と呼ばれ、そのうち、内航海運業を営む船舶を営業砂利船といい、それ以外を自家用砂利船(以下、単に「自家用船」ともいう。)と呼んでいた(この自家用砂利船のうち総トン数百トン以上または長さ三十メートル以上のものを内航運送の用に供しようとする者は、運輸大臣に届けることになっている。―内航海運業法二五条の二第一項)。

自家用砂利船の船主の多くは「一杯船主」と呼ばれ、一隻の砂利船を保有し、砂利、石材を自ら採取し、もしくは他から購入したうえ、これらを販売先まで運送し、そこで売却し、代金を得るという事業活動を行っていた。

一方、営業砂利船(以下、単に「営業船」ともいう。)も、自家用船主と同じく零細業者が多かったが、その多くは総連合の傘下の全国海運組合連合会(以下、「全海連」という。)に所属していたところ、総連合では、運輸大臣の認可を受けた保有船腹調整規程に基いて、組合員が保有する内航船の船腹の調整を行っていたため、組合員が新しく船を建造する場合には、一定割合の船を解撤(スクラップ化)しなければならないことになっていた(これをスクラップ・アンド・ビルド方式という)。

2 自家用砂利船の取締り(昭和五〇年海内五八号通達)

昭和四〇年代前半のいわゆる万博景気までは自家用船が多数建造されたが、当時の需給関係から営業船とシェアの争いは生じなかった。しかし、昭和四八年のオイルショックを契機に、総需要抑制による不況のため、砂利の需要が激減したこともあって、自家用船と営業船との間にシェアをめぐるトラブルが頻発した。

そのころの自家用船の営業活動の内容をみると、砂利を購入し、これを運搬して売却するような場合、購入代金と売却代金の差額が運賃に相当し、外形的には営業船の営業活動と変わらなかった。しかも、自家用船の船腹の総量は、営業船とほぼ同じ約三〇万重量トンあったうえ、既存の営業船が前記の船腹調整による制約下では大きな船を作ることが困難であったのに比べ、そのような制約のない自家用船は新式の大きな船を建造し、使用していたため競争力が高かった。このため、自家用船が営業船の活動を圧迫し、これに対する営業船主の反発が極めて強く、営業船主から、自家用船の事業の実体は、運賃を得て、砂利、石材を運送しているのと何ら変わらないとの主張がなされた。そして、総連合のうち既存の営業船主の多くが加入していた全海連が中心となって、運輸省に対し自家用船の営業行為の取締りを強く要請し、その結果、同省は、昭和五〇年五月二〇日海内五八号通達「自家用船の取扱いについて」により、従前の昭和四八年五月一日海内第五九号を改正し、自家用船舶の認定基準や自家用運送と判断される具体例について従前の通達より厳格な解釈を示し、さらに、その取締りを厳重にするようにした。その結果、当時自家用船により砂利を販売して営業していた自家用船主にとって、これまでの事業活動を続けることが困難となった。

3 全自連の設立

前記のような厳しい規制により、経営危機に陥った兵庫県の家島を中心とした自家用船主は、運輸省や総連合に前記通達の撤回を求めて陳情に及んだが、同省内航課から窓口を一本にするようにとの指導もあって、砂利業界の有力者で、家島の出身者であったAらが中心となり、昭和五〇年一〇月一七日全国砂利石材自家用船組合連合会を結成するに至った。

全自連は、大阪市北区西天満二丁目六番八号堂島ビルディング八一一号室の大阪府砂利石材協同組合の事務所の一隅に事務所を置いて、その活動を始めた。当時組合員の所有する自家用船は約五〇〇隻合計約三〇万重量トンであり、自家用船主の組織率は約九割であった(たとえば被告人Eの検察官に対する証拠等関係カード七八の供述調書、以下E・検七八のように表示する。)

全自連は、自家用砂利船を所有し、砂利を採取、輸送、販売する者が組織する各地の組合(もしくは組合員個人)が会員となって構成されており、その後、後記の臨時投入や転用が実現するに伴い、全国砂利石材臨投船組合連合会、全国砂利石材転用船組合連合会と名称を変更したが、その組織の実体は、ほぼ同一であった。全自連は、役員として理事(三五名以内)、監事(五名以内)がおり、役員で構成される総会、その下に理事で構成される理事会が置かれ、理事会で会長一名及び副会長若干名が選任されることになっていた。昭和五二年以降副会長は約五名選任されていたが、その内二名は家島に在住していたため、通称「四役」とよばれていたA(会長)、B(渉外担当副会長)、C(解撤担当副会長)、D(経理担当副会長)がその業務を取り仕切っていた。

また、日常の業務処理のため事務局が置かれ、E(専務理事)が事務局長を兼任し、A組土木興業から派遣された選任の事務員一名と共にこの処理にあたっていた。

4 全自連と運輸省及び総連合との交渉経過

(1) 昭和五四年二月一五日協定の成立

全自連は、自家用船を営業船へ転用し、一本化することを目標に、総連合及び運輸省との間で交渉を開始した。

既存の営業船が厳しい船腹調整や事業規制を受けてきた反面、自家用船はそのような制限を受けず、新造船が多かったこともあって(尤も、一本化が問題となってからは、自家用船は建造を行っていない)、自家用船のうち相当量を解撤することを条件に、自家用船の転用を認めることに方針が決まり、解撤量については、交渉の結果、自家用船の総船腹量約三〇万重量トンのうち八万重量トンを解撤することになった。

その結果、昭和五四年二月一五日に協定が成立したが、その内容は、全自連の総重量トンの三〇分の八を解撤することを条件に、自家用船の営業船への転用を認めるが、昭和五四年七月末日までに所定の解撤量の七〇パーセントを達成することができなかった場合は、協定を白紙還元するというものであった。なお、右期日までの間は、転用予定の自家用船は、「臨時投入扱い」として、営業活動が認められた(これを臨投船と称した)。

(2) 解撤の不調と協定の白紙還元

全自連では、右の協定成立前から、解撤の作業を進めていたが、前述のとおり、自家用船には、いわゆる一杯船主が多く、一隻の一部を解撤することができないため、全自連加入の自家用船のうち解撤予定トン数に相応する船を解撤し、残りを営業船として転用させることにした。そして、解撤する船の船主に対して一重量トン当たり四万円の解撤交付金を交付することとし、その資金を転用予定船の船主から一重量トン当たり一万四五〇〇円(当初)を解撤納付金として徴収することとした。

しかし、解撤交付金による補償を受けるにしても、砂利船を解撤することはこれまで生計を立てていた道を閉ざすことになるため、解撤に応じようとする船主がなかなか集まらず、そのうちに解撤期限の昭和五四年七月末日が到来したため、一旦は総連合の理事会で協定を白紙還元とした。このため、運輸省が間に立って、解撤期限を昭和五五年三月末日まで延長し、その間、内航課長が妥協案(いわゆるさみだれ転用)を提出するなどしたが、全自連が引当資格を要求したためまとまらず(たとえば第一三回公判調書中の証人越村安英の供述部分一六丁、以下越村一三回一六丁というように表示する。)結局解撤予定量を達成することができないまま期限が到来し、前記協定による一本化は白紙還元となり、自家用船主は従来の営業活動を継続できなくなるという事態となった。

なお、自家用船のうち陸々間就航船舶(特定の港を運行するもの)等の営業転用については、既存営業船とのシェアの競合もなく、比較的問題が少なかったため、昭和五四年一二月一一日、全自連と総連合との間で基本協定が締結された。

5 昭和五五年一一月六日協定の成立

(1) 田代への依頼と質問主意書の提出

昭和五五年三月末日の経過をもって、昭和五四年二月一五日協定が白紙還元となってしまったことで、対応に苦慮したAら全自連幹部は、政治家に依頼して総連合や運輸省に働きかけ、事態を打開しようと考え、兵庫県四区選出の自民党代議士である河本敏夫や戸井田三郎に相談、依頼したが、総連合は自民党議員との繋がりが強かったこともあり、思うような活動をしてくれなかった。このため、Aらは、野党の議員に依頼することを考え、昭和五五年四月、Cの知人である公明党大阪府議の表原茂雄を通じて、当時、公明党中央執行委員、副書記長、組織局長で大阪地方区選出の参議院議員田代富士男を紹介された。

Aら全自連四役は、昭和五五年四月一九日、田代に対してこれまでの経過を説明したうえ、一元化問題の解決を依頼した。これを受けた田代は、Aら全自連の役員を、四月二四日運輸大臣に、五月一五日運輸省海運局長、内航課長らに引き合わせ、一元化問題の解決として、解撤不足量については金納により転用を認めることと、一〇〇パーセントの引当資格を付与することを陳情させた(検二五七―五六)。

そのころ、Aら四役は田代に対し、運輸省の海運局長や総連合の三木会長を国会の委員会に召喚して、質問をすることを申し出たところ、田代は、委員会で質問するとなると党として取り組まなければならないので、議員個人として行うことのできる国会法七四条の内閣に対する質問を行うことを提案した。田代は、全自連事務局長のEから資料の提供を得たうえ、参議院運輸委員会主任調査員荒木正治に質問主意書の原稿を起案させ、昭和五五年七月一九日「三〇分の八の解撤を強制するのは妥当性がない。既存営業船と同一の引当資格を与えるべきである。臨投を継続すべきである。」といった、全自連の要望に沿った内容の「砂利石材船の一元化に関する質問主意書」を提出した。

(2) 協定の成立

質問主意書に対する答弁を担当することになった運輸省海運局内航課としては、答弁では明確な態度をとらなかったものの、内部では問題の早期解決を目指すことにし、総連合と全自連双方に対して、その旨の指導を行った。その間、運輸省、総連合、全自連の三者の間で、解撤の代わりに金納を認めるかどうかという点や転用船の引当資格などについて激しい議論がなされたが、漸く昭和五五年一一月六日総連合と全自連との間で新たな協定が締結されるに至った。その結果、解撤の代わりに金納が認められ、しかも解撤保証金として総連合に供託していた一重量トン当たり五万円のうち一万円を返還する約束も取り交わすことができた。しかし、いわゆる「一身限り」の制限や、航路制限(既存営業船との競合を避けるため、転用船については定められた航路しか就航できない。)、資格制限(船舶貸渡業のみで、内航運送業の許可が与えられていなかったため、荷主と直接交渉することができない。)が付されるなど全自連にとって必ずしも満足なものではなかった。

(3) 営業船への転用実現

その後、昭和五七年一〇月一日をもって、全自連加入の自家用船は営業船として転用され、ようやく一本化が実現し、営業転用船は、総連合傘下の組合に加入したが、これまで全自連に対して強硬な態度をとってきた全国海運組合連合会にはあまり加入せず、多くは全国内航輸送海運組合に加入した。

なお、総連合では、従来船腹調整を行ってきたため、既存営業船の大型化、近代化が自家用船に比べ遅れており、このまま自家用船の営業船への転用を実施した場合、既存営業船が不利な立場に追い込まれるとの考えから、一定の要件を満たした既存営業船(合理化対象船舶)については、昭和五六年一〇月一九日から同六三年一一月五日までの間に一回限り、引当比率を一対2.75とする代替建造を認め(保有船腹調整規程によると、通常は一対1.3以下)、大型化、近代化を図った。

6 Aらによる田代への本件以外の現金の贈与

(1) 昭和五五年一一月六日の協定成立後、Aら四役は、田代への謝礼を協議し、同年一二月九日に五〇〇万円を贈与し、その後も毎年五〇〇万円を贈与することにし、その旨田代に伝えた。

(2) 田代は、全自連から受け取った現金の受入先が必要となったため、昭和五六年三月二〇日、政治資金規正法上の政治団体として富士政治経済懇話会(以下、「富士政経」ともいう。)を設立したが、その実体は、田代と全自連四役のみであり、収入も若干の例外を除いて、全自連から受け取る現金のみであった。

(3) このようにして、昭和五五年一二月から同六二年一月まで七回にわたり毎年五〇〇万円がAらから田代へ贈られたが、昭和五五年から同五九年の分までは全自連の資金に余裕がなかったためAら四役が個人的に支出し、昭和六〇年からは全自連から支出された。

7 「一身限り」の制限の撤廃について

(1) 「一身限り」の制限の撤廃の要望

前記のとおり、全自連加入の自家用船は昭和五七年一〇月一日から営業転用船として活動するようになったが、営業転用船には「一身限り」の制限が課せられたため、次のような問題があった。

すなわち、営業転用船を他人に売却すればその時点で営業船としての資格を失うため(昭和五五年一一月六日協定の了解事項)、稼働させる限りでは一定の価値のある船舶も、これを売却した場合、スクラップ同様の値段でしか売ることができなかった。このため、銀行などから融資を受けたくても、零細な一杯船主にとって最大の資産である船がスクラップとしての担保価値しかないため、思うような融資を受けることができなかったし、転廃業すら思うにまかせられなかった。

しかも、当時、関西新空港建設が決定し、その着工の時期が迫っていたが、砂利船の一本化が問題となってからは、自家用船は建造を停止していたため、すでに老朽化している船も多く、新しい船を建造する必要性があったが、通常、新造船を担保に融資を受けて、新船を建造するのであるが、前述のとおり、新造船の担保価値が極めて低く、十分な融資を受けることができず、他に資産を有しない一杯船主は事実上、新船の建造が著しく困難となった。

このため、転用船の中から「一身限り」の制限の撤廃を求める声が強くあがり、全自連としても、前記のとおり自家用船の営業船への転用は実現したが、「一身限り」の制限の撤廃へ向け継続して活動することになった(航路制限については、運輸省や総連合との交渉の結果、昭和五九年五月一〇日から撤廃された。)

(2) 「一身限り」の制限撤廃へ向けての活動

Aらは、転用が実現した後も、「一身限り」の制限の撤廃について運輸省や総連合と交渉を重ねたが、一向に進展の兆しが見られず、昭和五九年一二月九日、有馬温泉において全自連の総会が開催され、全自連の名称を全国砂利石材転用船組合連合会と改称し、引き続き、「一身限り」の制限の撤廃に向けて活動を続けることとなった。このとき、Aは引退を申し出たが、組合員の要望で会長の職を続けることとなった。

Aは、BやEを伴って上京し、昭和五九年一二月一三日、全自連の総会の意向を受けて総連合の三木会長に「一身限り」の撤廃を依頼する陳情を行ったが、三木から、既に総連合の組合員になったにもかかわらず、別の団体を結成して、総連合に対して要求するようなことは分派行動であるとして厳しく叱責を受けた。Aは同行したBやEと共に、総連合の態度は極めて強硬であり、容易には「一身限り」を撤廃できないと考え、その足で議員会館に田代をたずねて三木会長の応対振りを説明した。

(3) 料亭「生尾」における会食

今後の対応に苦慮したAら四役は、再び田代の活動に期待することとし、Aは、翌昭和六〇年一月二四日ころ、Eに命じて砂利船の現状を記載したメモを準備させ(E二八回一三丁以下)、Aら四役とEが同年二月二日、大阪市内の料亭「生尾」で田代と会食した際このメモを田代に提出して「一身限り」の撤廃への協力を依頼した。

また、Aは、B、D、Eとともに、昭和六〇年五月七日にも、前記料亭「生尾」において、田代に会い、「一身限り」の撤廃への協力を依頼するとともに、現金一〇〇〇万円を田代に手渡した(これらの会食の際、いわゆる国会質問の話が出たか否か、その請託があったか否かについては、のちに判断する)。

(4) 質問主意書提出の準備など

Aらは、昭和六〇年三月六日、当時の運輸省貨物流通局海上貨物課長吉田公一に対して、陳情を行ったが、その際、田代は、参議院運輸委員会主任調査員荒木正治を立ち合わせ、また質問主意書を提出するかも分からないからといって、陳情内容をメモさせた。田代自身、昭和六〇年三月二七日、当時の運輸省貨物流通局海上貨物課長吉田公一に対して、「一身限り」の制限の現状や問題について質問したうえ、制限は現状に合わないとの指摘を行い、同年五月一三日には同課長立会いの下、総連合の三木会長と会談し、「一身限り」の制限の撤廃などを打診したが、このときの三木の回答は、現段階では無理というものであった。その後も、田代は、昭和六〇年五月一七日、同月二二日、吉田課長に対し資料要求を行ったりして、質問主意書の提出に備えた。また、Aらが、昭和六〇年六月八日、近畿砂利石材協同組合において転用船売買問題懇談会を開催した際、田代も出席し、今後の活動についての方針を述べたうえ、その一環として近日中に質問主意書を提出することを表明した。

(5) 昭和六〇年六月一七日付質問主意書の提出

田代は、昭和六〇年四月一六日ころ、参議院運輸委員会主任調査員荒木正治に資料を渡したうえ、「一身限り」の制限の撤廃を内容とする質問主意書の原稿の起案を依頼した。そして、荒木が作成したものに若干の手直しを指示したうえ、「『一身限り』の制限は約束違反であり、この制限のため既存営業船と転用船との間に不公平が生じている。船腹調整事業が転用船にとって不当な差別の原因となっているので見直すべきである。違法なプッシャーバージと転用船に対する取扱に不公平がある。」といった内容の「日本内航海運組合総連合会による船腹調整事業に関する質問主意書」の原稿を作成した。

田代は、質問主意書の原稿を、同年六月八日に開催された前記転用船売買問題懇談会の終了後、全自連の四役のほか幹部数名に見せて承諾を得たうえ、浄書し、昭和六〇年六月一七日参議院議長に提出した。

(6) 質問主意書に対する答弁

Aらは、質問主意書の提出後、昭和六〇年七月一一日、山下運輸大臣(当時)に「一身限り」の制限の撤廃の陳情を行ったりしたが、同月三〇日、内閣から右質問主意書に対する答弁がなされた。その内容は、「転用船についても一定の条件の下で代替建造が行われている。船腹調整事業については、業界の実情に応じ適切な運営がなされるよう総連合を指導する。」などといった簡単なものであった。

(7) その後の田代の活動

田代は、昭和六〇年八月七日、吉田課長に対し、電話で質問主意書に対する答弁について不満を述べたうえ、数度にわたり、自家用船の解撤を金納にすることにした根拠や、金納分の利息の運用、合理化船の状況、違法なプッシャーバージ問題などについての資料を要求したが(吉田一五回二六丁以下)、そのころ、同課長に対して総連合の三木会長を国会に召喚して質問をする意向を伝えたりした(吉田一五回二八丁以下)。

吉田課長は、このような田代の態度や、質問主意書に対し総連合を指導すると答弁したことに加え、当時、既存営業船の近代化、大型化も進み、関西新空港の建設もあったので、運輸省としても周囲の状況に適合するよう協定を改正すべきと考え、昭和六〇年九月中旬ころ、上司と協議したうえ、総連合の三木会長や松本泰徳副会長に対して、昭和六一年三月を目処に「一身限り」の制限を撤廃するよう指導し、三木会長も努力すると回答した(吉田一五回三二丁以下、松本四回三五丁以下、三木第一回三七丁以下)。三木会長の意向は田代にも伝えられ、田代から全自連の役員にも伝えられた(E三〇回七丁以下、A・検二二四)。

その後も、田代は度々運輸省に対して、資料要求などを行ったが、昭和六一年三月四日、吉田課長立会いの下、三木会長と会談し、関西新空港着工前に「一身限り」の制限を撤廃するようあらためて要請したが、三木会長は、努力するが、総連合内部で議論すべきものであり、内部で解決したいとの意向を表明するにとどまった(吉田一六回一七丁以下、三木第一回三九丁以下)。

田代は、昭和六一年四月一四日、吉田課長とその上司である大塚審議官に対し、「一身限り」の制限を撤廃するよう再度申入れ、その時期を公表するよう要求し、これに応じない場合は、参議院決算委員会で「一身限り」の問題について徹底的に質問すると詰め寄った。このため吉田課長は、翌四月一五日三木会長と松本副会長に確認をとったうえ、六一年度中に「一身限り」の制限を撤廃するよう総連合内部で審議を行うことを表明したが、田代は、六一年内に撤廃するよう要求したうえ、これを文書で了解するよう申し入れた。吉田課長は、再度三木会長や上司と協議したうえ、昭和六一年四月一六日、三木会長、大塚審議官と共に田代を訪れ、三木会長が、田代の希望する時期までに全力で解決するようにしたいが、会議で決めるので明言はできないと回答し、田代もこれを了承し、前記国会質問を保留すると述べた(検二六六)。田代は、六一年末に「一身限り」の制限が撤廃される見込みであることを、全自連の役員に伝えた(B・検二三二)。

(8) 「一身限り」の制限の撤廃

昭和六二年三月になっても、一向に「一身限り」の制限の撤廃に至らないため、田代は、吉田課長の後任の北田紘平課長に電話をかけ不満を述べた。北田課長は、三木会長から総連合内部における議論の進捗状況を尋ねるとともに、同年三月二五日、三木会長と共に田代を訪ねた。約束を守るよう強く迫る田代に対して、三木会長は、これ以上解決を延ばすことはできないと判断し、同年六月の総連合の総会に間に合うよう「一身限り」問題の解決を約束した。

三木会長は、昭和六二年三月三一日、総連合政策委員会において、「一身限り」の制限を撤廃することを提案し、総連合を構成する各組合の会長に対し、傘下組合員より会長(三木会長)一任を取りつけるよう依頼した(検二五五)。そして、昭和六二年四月八日、三木会長自ら、最後まで反対の立場であった全海運の八百村会長の承諾を取りつけ(八百村七回三五丁以下)、翌日の総連合の理事会で、「一身限り」の撤廃を盛り込んだ内航海運対策要綱案を採択し、同年六月二四日総連合総会において右要綱を採択し、同年七月一日「一身限り」の制限は撤廃された(検二五七―五一、三木第一回四八丁)

(9) 全自連の解散

全自連は、昭和六二年八月一一日、その目的を達したため解散した。

四  本件請託について

1 はじめに

弁護人は、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日の両日、田代に対して、質問主意書の提出の請託はなかったと主張する。

ところで、被告人Eと同Cは、公判廷において、検察官の質問に対して、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日に田代に対し質問主意書の提出を請託したことを認め、被告人A、同B、同Dも、捜査段階において、請託の事実を認めている(被告人Cは、捜査段階でも認めている。)。

しかし、被告人Eと同Cは、弁護人の質問に対し、検察官の質問に対する供述と異なる供述をし、被告人A、同B、同Dは、公判廷において、請託については記憶がないと供述する。

一方、被告人田代は、捜査段階から一貫して、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日、Aらから質問主意書の提出の請託を受けたことはないと供述している。

当裁判所は、後述するように、請託の背景事情に加え、昭和六〇年二月二日「生尾」で田代に提出したいわゆるEメモと質問主意書の内容の多くが一致すること、質問主意書提出前後の田代の行動などを総合すると、被告人A、同B、同C、同Dの捜査段階における供述どおり請託及び受託の事実を認めるのが相当と考えたので、その理由を以下に説明する。

2 請託の背景事情について

弁護人は、まず「当時の状況としては、運輸省当局も総連合の三木会長も『一身限り』の制限を撤廃する予定でいたのであるから、Aらにとって、田代に国会質問を依頼する必要はなかった。」旨主張する。

しかし、関係証拠によると、全自連としては、転用は実現したが、「一身限り」の制限を不満としてこれが撤廃に向けて運動することとし、Aら全自連の幹部は、昭和五八年四月二一日に運輸省及び総連合に「一身限り」の制限の撤廃を陳情し、同年八月一九日及び九月七日には、田代立会いの下、運輸省の犬井海運局長、土井内航課長、総連合の三木会長に会って陳情したが、制限が撤廃される様子は窺えなかった(三木第一回二六丁以下、検一七六添付四、検二七五等)。

また、本件質問主意書が提出された当時の運輸省貨物流通局海上貨物課長吉田公一は、質問主意書が提出されるに及んで、関西新空港の建設予定や既存営業船の状況をみて、「一身限り」の制限を撤廃する必要性を考えたと供述しているが(吉田一六回二丁)、課長就任当時は従来の協定を維持する立場をとっており、質問主意書が提出されるまでの運輸省としての立場は、必ずしも明らかではないが、少なくとも、未だ積極的に撤廃することを考えていたわけではなかったことが認められる。

さらに、「一身限り」の制限の改廃は、総連合の内部的な問題であり、まず総連合が決定しなければならないことであり、運輸省としては総連合に対して指導する立場に過ぎなかったのであるが、総連合の三木会長は、昭和六〇年四月一一日の総連合第五六回政策委員会において、「砂利船の一身限りをはずして一般船として認めて欲しいと言う要望があるやに聞くが、これは絶対に困る。」と言明しており、当時としては、「一身限り」の制限が早期に撤廃される状況にはなかったと認められる。このことは、質問主意書提出後も総連合全海運内の砂利船部会の反対が強硬であったため、要求が実現するまでに約二年を費やしたことからも窺える。

もっとも、三木会長個人は、当時の真意について、昭和五九年一二月一三日の陳情に対しては分派行動として叱責したものの、「一身限り」の制限については、たいした問題とは考えなかったので、時期がくれば撤廃してもよいと考えていたとも供述する(三木第二回七二丁)。しかし、Aら全自連の役員らは、三木会長が激怒したことから、「一身限り」の制限の撤廃について総連合が強硬な態度であると考え、何とかこうした事態を打開しなければならないと深刻に受け止めたことは否定できない(検二七五中の昭和六〇年六月八日に開かれた転用船売買問題懇談会議事録―平成元年押第五〇一号の八。なお、Bは、公判廷で、三木会長の真意は、総連合内部の意見をまとめて「一身限り」の制限を撤廃する考えであったが、事前に情報が漏れると、全海運の砂利船部会などの反対により、意見をまとめることが困難であったことから、情報が漏れることを恐れたためもあり、あえて全自連の役員に対して、その真意を秘していたと思うと供述するが、B自身、その当時としては、三木会長の真意について、「一身限り」の撤廃には絶対反対であると思ったと供述している。―B三四回)。

以上のように、Aら全自連の幹部としては、「一身限り」の制限の撤廃への活動が進展せず、三木会長の強硬な態度を見て、その対応に苦慮していたのであるから、田代に対して、内閣への質問を依頼する動機は十分あったと認められる。

なお、弁護人は、前記昭和五九年一二月一三日の三木陳情の際三木会長が激怒したことが田代への質問依頼の直接の動機であるとするならば、Aらが翌年二月二日に至って初めてそれを依頼したのは不自然であるというが、田代自身の当公判廷における供述によれば、右昭和五九年一二月一三日三木陳情の帰りにAらに会ってから、次にAらに会ったのが右二月二日であるというのであるから、依頼が遅過ぎて不自然であるとはいえない。

3 Eメモについて

次に弁護人は、Eメモに記載されている内容は、すでに昭和五八年、五九年ころ取り上げられ、田代も十分承知している内容であり、いわゆる国会質問をしてもらうためにわざわざ作成されたものではないと主張する。

しかし、Eメモと質問主意書の内容を対比すると、メモの内容が質問主意書に取り入れられていることは明らかである。

すなわち、Eメモの要旨は以下のとおりである。

一項 転用船を代替建造するときの引当船としては、引当資格のある既存営業船を求めなければならず、引当船の権利は高騰する。しかも、新建造船は「一身限り」の制限を受ける。

二項 総連合は、違反バージ(プッシャーバージ)の解撤引当船として転用船を充当することを定めており、バージが転用された後は売買について制限されていない。

三項 総連合は、転用船の売買を認めることにより、引当権価格の高騰につながるというが、転用船側は同種同型船の売買を求めているから、一般貨物船業界の混乱を招くことはない。

四項 既存営業船や砂利合理化船の建造権利は、船舶の建造後二年間の転売禁止の制限があるのに、売買を行っている。

買船後二年間は引当権を行使できない制限があってもよいから、売買を認めてほしい。

五項 倒産した転用船事業者は、所有転用船の売却処分もできない。

一方、昭和六〇年六月一七日付質問主意書によると、Eメモの一項は質問主意書の八項に、同じく二項は九、一〇項に表われており、同じく三項の趣旨は六項に表現されていることが認められる。また、Eメモの五項は転用船に引当資格がないために生ずる不利益の一内容であり、既存営業船と同様引当資格を与えるべきとの主張と解されるが、この点は質問主意書の二、三、四項で述べられている。なお、Eメモの四項については質問主意書で触れていないが、田代は、その後運輸省に対し、合理化船の権利売買の実体を調査するため数度にわたり資料要求をしており、質問主意書提出までに目的とする資料を収集することができなかったためと認められる。

なお、質問主意書の総論部分は、従来から主張されている内容であり、一項はこれまでの経緯を質問するもので、二項は前回の質問主意書に対する答弁の履行を問うものである。三、四項はいずれも既存営業船との不平等をいうものであるが、これも従来から主張されてきたものである。

このように、本件メモ及び質問主意書は、いずれも、全自連のかねてからの主張が列記されているが、かなりの部分が一致しており、メモの内容が質問主意書に取り入れられたことは明らかである。そして、メモの内容は田代が精通していると思われる問題であることや、前述した田代の砂利船問題に関与した経緯、その後の田代の対応も併せ考えると、このようなメモをわざわざ田代に手渡す理由は、質問主意書作成の参考に供する目的以外に考えられない。

なお、Eは、公判廷において弁護人の質問に対し、メモはそのときの問題点をまとめたもので、特定の質問主意書のためというものではなかったかのような供述をしている部分もあるが(E三二回二六丁)、それでは何のためにわざわざまとめたのか、納得のいく理由を説明していない。しかも、検察官の質問に対しては、Aから依頼されて作成し、これをAが質問主意書の提出を依頼する際に手渡した旨の供述を詳細にしているにもかかわらず、これといった理由もなく、弁護人の質問に対し反対の供述をしているのであって、その部分は信用できないという外はない。

4 田代の対応について

弁護人はさらに、「田代が、質問主意書の提出を考えたのは、三木会長と会った昭和六〇年五月一三日以降の五月末ころである。Aらが、昭和六〇年二月二日に国会質問を依頼したというのに、田代が同年六月一七日までの間放置していたのは不自然であり、請託の事実はなかった。」と主張する。

しかし、十分効果のある質問を行うためには、それなりの準備や環境作りが必要であるが、資料要求や陳情などもそのうちのひとつであって、昭和六〇年二月二日から質問主意書を提出する同年六月一七日までの間、このような準備を行っていることが認められるのであるから、何ら不自然とはいえない。

しかも、Aらが、昭和六〇年三月六日、田代立会いの下、運輸省の吉田課長に陳情した際、田代は、前述のとおり参議院運輸委員会主任調査員荒木正治を出席させたうえ、荒木に質問主意書の提出をほのめかしているが、同年四月一六日には、荒木に資料を渡したうえ、質問主意書の原稿を起案するよう依頼していることが認められる。また、質問主意書の原稿が完成した後、全自連の幹部らに、原稿を見せ、その了承を得ていることも前述のとおりである。

このように、田代は、質問主意書の提出の依頼を受けたとされる日から、そのための活動をいろいろと行っていることが認められるのであって、田代は、質問主意書の提出の依頼を四か月間放置したわけでは決してなく、弁護人の主張には理由がない。

5 贈賄側の供述の信用性について

(1) 全自連四役の捜査段階における供述

被告人A、同B、同C、同Dは、いずれも、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日の両日、料亭「生尾」で、田代に質問主意書の提出を請託した事実を明確かつ具体的に供述している(被告人Cは、五月七日の会合には出席しておらず、後日、Aから伝え聞いた内容の供述が存する。)

Aの供述(検二二三)によると、Aら全自連の四役とEは、昭和六〇年二月二日、料亭「生尾」において、田代と会い、Aが「関西新空港の着工が近づいており、転用船は大型合理化船として代替建造したいのですが、一身限りをはずしてもらわないことにはどうにもならんのです。とにかく今のような古い小さな船では作業能率の点からも採算面からもどうにもならんのです。」「とにかくこういう状況ではどうしようもありませんので、五五年の時のように先生に国会質問をやっていただくわけにはいきませんか。一身限りを解決するためには先生のお力を借りて、そうしていただく以外方法がないと思うんです。」と述べて依頼したところ、田代は「そうですね。総連合は尋常なやり方では勝てませんから国会質問をして運輸省に強烈な指導をさせるしかないでしょうね。国会質問をすれば役人もきちんと動きますから。ただ、国会質問をするにしても手順としてみんなで運輸省にきちんと陳情に行った方がよいでしょう。予定を立ててみますから。」と応えた。そして、Eが、Aの指示により予め作成したメモを出席者に配り、その内容の説明をし、Aが「まあ、ひとつ、こういう線で国会質問をお願いしたいんですが。」と依頼したところ、田代は「わかりました。」と承諾したことが認められる。

また、同じAの供述(検二二四)によれば、A、B、D、Eは、昭和六〇年五月七日、料亭「生尾」において、田代に会い、Aが「とにかく、何とかして一身限りを撤廃しないことにはどうにもなりません。新空港の建設工事が近づいておりますから切実な問題になっております。」と述べ、Bも「新空港のおかげで、ようやく我々業界も上向きになっているのであり、みんな老朽船を新しくしたがっております。総連合は我々に対してだけ船腹過剰だから解撤しろと言ってきて、自分たちは2.75倍の引当資格で合理化船を建造しているのであり、あまりにも矛盾しております。」と訴えた。そして、Aが「もう先生の国会質問以外に方法はありませんから何卒よろしくお願いします。運輸省を動かすのにはそれしかありません。実は、私はもう会長を辞めたいのですが、一身限りの問題を解決しないことには辞められないのです。」と述べ、田代が「国会質問については最善を尽くしますが、Aさんも辞めるなんてことはおっしゃらないで下さい。Aさんがいなければどうにもならないでしょう。もうしばらくお互いに頑張りましょう。」と応えたことが認められる。

他の被告人の供述もほぼこれと同様の内容である。

弁護人は、これらの供述は、検察官の誘導に基づくものであり、それも、質問主意書を提出した時期から逆算して請託の時期を推論したものを押しつけたもので、信用できないと主張する。

しかし、本件一連の捜査は、全自連幹部らの背任、業務上横領の被疑事実の取調べから始まり、昭和六二年一〇月一三日と同年一一月三日の二度にわたり背任、業務上横領により公訴提起がなされ、右一一月三日から贈収賄の被疑事実についての取調べが開始されたものであるところ、被告人Aは、捜査段階を通じて身柄拘束を受けたことはなく、被告人B、同C、同Dは身柄拘束を受けたが、いずれも同年一一月六日に保釈され、その後、在宅によって贈収賄の取調べが継続され、翌昭和六三年一月三〇日に贈賄により公訴提起がなされたものである(同日、被告人田代は、受託収賄で公訴提起された。)。

贈収賄に関する検察官調書の中には、身柄拘束中に取調べを受け、作成されたものもいくつか存するが、本件請託の事実を認める調書は、いずれも、身柄拘束を受けないか、あるいは身柄拘束を解かれたのちに作成されたものであるうえ、被告人らの公判供述をみても、取調べ状況について、特に信用性に疑いを抱かせるような状況は窺えず、弁護人のいう検察官の誘導についても、いろんな資料を示されてそれに基づき供述したという状況は窺えるが、記憶を喚起して供述しているにすぎず、むしろ、前述した「一身限り」制限撤廃運動の経緯にも符合しており、捜査段階における供述は信用できる。

(2) 全自連四役及びEの公判廷における供述

被告人A、同B、同Dは、いずれも、公判廷において、請託の事実について、明確な記憶は存しないと供述するが、これを明確に否定するものはいない。むしろ、Aは、具体的な記憶はないと供述しながらも、「実際には田代さんに国会質問のことでお願いしたことがあるんでしょう。」との検察官の問いに対して、「それはお願いしとりますやろな。」と供述し(A四六回一七丁)、昭和六〇年五月七日、料亭「生尾」で、国会質問を依頼したことについては、記憶がないとしながらも、言ったかも知れないと供述している。

なお、被告人Cは、公判廷において、検察官の質問に対して、請託の事実を認めておりながら、これといった理由や説明もなく、弁護人の質問に対しては、昭和六〇年二月二日は新年会を兼ねたもので、雑談の中で国会質問の話が出たに過ぎず、やりとりの細部は覚えていないとあいまいな供述をしている。

また、被告人Eは、公判廷において、検察官の質問に対しては、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日に質問の依頼がなされたと明確に供述しているにもかかわらず(E二八回三四丁以下、二九回二八丁以下、四〇丁以下)、弁護人の質問に対しては、これといった理由や説明もなく、質問主意書の話が出たのは、田代と三木が会った昭和六〇年五月一三日以降であったように思うとか(E三二回二九丁)、雑談的に国会質問の話が出たのは、昭和六〇年二月二日かそれ以降であるとか(前同三〇丁)あいまいな供述をしている。

全自連の四役やEは、いずれも、七年間にわたり全自連のために尽力してきた田代が受託収賄を否認している以上、その面前で請託の事実を認めにくい立場にあると考えられ、請託について記憶がないという供述は信用できない。

6 まとめ

以上を総合すると、前述のとおり、Aら全自連四役はEと共に、昭和六〇年二月二日及び同年五月七日の両日、料亭「生尾」において田代と会談をし、その際、「一身限り」の制限の撤廃要請を内容とした内閣に対する質問を依頼し、田代においてこれを了承したこと、すなわち請託及び受託の事実は明らかである。

五  本件一〇〇〇万円の趣旨

1 はじめに

弁護人は、本件一〇〇〇万円は質問主意書の提出に対する謝礼ないしは報酬すなわち賄賂ではなく、田代に対する政治献金であると主張する。

ところで、被告人E、同Cは、当公判廷において、検察官の質問に対し、本件一〇〇〇万円は国会質問に対する謝礼であったと供述し、被告人A、同B、同Dは、いずれも、捜査段階において、本件一〇〇〇万円の趣旨についてその賄賂性を認めている(被告人Cは、捜査段階でも認めている。)。

しかし、被告人Eと同Cは、弁護人の質問に対し、検察官の質問に対する供述と異なる供述をし、被告人A、同B、同Dは、公判廷において、本件一〇〇〇万円は選挙資金として使用してもらうための政治献金であると供述する。

また、被告人田代は、捜査段階から一貫して本件一〇〇〇万円は政治献金であったと供述している。

当裁判所は、前述のとおり、質問主意書の提出の請託を認定しており、本件一〇〇〇万円はその際に授受されていることから、その職務関連性はほぼ明らかであると考えるが、質問主意書提出の請託があっても、それとは全く別個の趣旨で、すなわち質問主意書の提出とは何ら対価関係なしに金銭の授受がなされることも可能性としては否定できないので、慎重に検討したが、以下に述べる理由によって、本件一〇〇〇万円は、もっぱら質問主意書の提出に対する謝礼ないしは報酬の趣旨で授受されたものと認める外はないとの結論に達した。次のとおりである。

2 田代と全自連との関係

全自連は、前述したとおり、自家用船の営業船との一本化(転用後は実質的な一本化)を目的として設立された組織であり、その目的達成のため、全自連の四役は、田代に協力を依頼し、同人は長年にわたって全自連のため努力してきたのであるが、全自連と田代との結びつきは以上に尽きるのであって、それ以外に、本来自民党の党員であるAらと公明党の議員であった田代とを結び付ける政治的、経済的関係は見当たらない。

3 本件一〇〇〇万円授受の時期

本件一〇〇〇万円は昭和六〇年五月七日に授受されたのであるが、前述したように、昭和六〇年二月二日と授受の当日に「一身限り」の撤廃を内容とする質問主意書の提出の請託を行っていることや、昭和六〇年六月一七日全自連の希望に沿った質問主意書を提出していることなどの事情は、右金銭の質問主意書の提出との対価性を強く推認させるものである。

4 政治献金との主張について

弁護人は、本件一〇〇〇万円は田代の選挙資金に供するための政治献金として授受されたものと主張する。しかし、関係証拠によると、前述のとおり、Aら四役は、昭和五五年一二月から田代に対して毎年五〇〇万円の金銭を贈っており、最初の五〇〇万円については田代富士男後援会名義の領収書が、二回目からは昭和五六年三月二〇日に設立届がなされた富士政経名義の領収書が発行され、それぞれ政治資金規正法に基く届出がなされていたのであるが、本件一〇〇〇万円については、富士政経と田代富士男後援会の両方から一〇〇万円の領収書各五通を発行しているにもかかわらず、そのいずれからも、政治資金規正法上の届出がなされていない。弁護人は、失念しただけであると主張するが、もし本件の一〇〇〇万円が正当な政治献金であるとするならば、このような多額の献金の申告を失念するとは考えられない。

また、本件一〇〇〇万円については、富士政経名義で領収書を発行した五〇〇万円だけでなく、田代富士男後援会名義で領収書を発行した五〇〇万円についても、後援会の会計に入金することなく、田代個人が管理し、田代個人に帰属していたことが認められるので、この点からも政治献金と見るのは困難である。

なお、弁護人の主張する「政治献金」の意味は必ずしも明らかでないが、いわゆる政治献金と称されるものであっても、職務行為との対価性が認められ、職務に対する不法な報酬と認められる以上、それは賄賂であり、その使途がたとえ選挙資金であったとしても同じであることを付言しておかなければならない(いわゆる大阪タクシー汚職事件に関する最高裁昭和六三年四月一一日決定、刑集四二巻四号四一九頁の原審たる大阪高裁昭和五八年二月一〇日判決参照)。

5 質問主意書に対する謝礼以外の趣旨について

被告人B、同C、同D、同Eらは、公判廷において、本件一〇〇〇万円の贈与の動機について、質問主意書の提出に限らず、田代の全自連に対する諸々の尽力に対する謝礼であると供述する(B三五回三六丁、C四四回五五丁以下、D四〇回四七丁以下、E二九回五三丁)。

たしかに、全自連の当時の最終的な目的は、「一身限り」の撤廃であったのであり、質問主意書の提出は一つの手段に過ぎない。Aらも、田代に対して質問主意書の提出のみを依頼したわけではなく、田代に対して、運輸省や総連合に対する働きかけをも期待し、これを依頼していたと認めるのが相当である。そして、当時、田代は、期待に沿う活動を行っていることが認められる。

本件一〇〇〇万円の中に、質問主意書の提出以外に、右のような交渉に対する謝礼も含まれていることは否定できないが、前述した経緯、特に例年の五〇〇万円が支払いずみであった事実に加えて、質問主意書の提出に要する労力や手続き、効果などを考えると、本件一〇〇〇万円はもっぱら質問主意書の提出に向けられた謝礼と考えるべきである。しかも、運輸省や総連合との交渉ももとより「一身限り」の制限の撤廃を目的とするものであるから、幾分はその謝礼としての趣旨が含まれているとしても、質問主意書の提出に対する謝礼と不可分であり、本件一〇〇〇万円全体が賄賂性を有するものと考えるのが相当である。

6 賄賂の認識について

被告人田代は、捜査段階から一貫して、本件一〇〇〇万円の趣旨は政治献金であって、質問主意書の提出の謝礼ではないと供述しており、賄賂性の認識を立証する直接証拠(自白)はない。

しかし、前述したように、本件一〇〇〇万円が授受された際に、質問主意書の提出を請託されていることや、例年の五〇〇万円とは別に授受がなされたことなどを総合すると、田代自身、質問主意書の提出に対する謝礼であることを認識していたと認めるのが相当である。

なお、前述のように、本件一〇〇〇万円については、富士政経と田代富士男後援会名義で合計一〇通の領収書を発行しているが、このように領収書を発行しているというだけで、田代に賄賂の認識がなかったということはできず、政治資金規制法上の申告を怠っている点は賄賂性の認識の存在を推認させるものである。

7 贈賄側の供述の信用性について

(1) 全自連四役の捜査段階における供述

被告人A、同B、同C、同Dは、いずれも、本件一〇〇〇万円の趣旨は、国会質問に対する謝礼であったと、賄賂性を認める供述をしており、右謝礼を渡すことやその額を謀議した内容や日時について具体的に供述している。

弁護人は、右供述の信用性を争い、「右被告人らは、まず、全自連に対する業務上横領等についての取調べを受けたが、全自連の幹部であった被告人らにとって、このような嫌疑は屈辱的であり、この嫌疑を晴らしたいという気持ちが強かった。そして、横領した金銭の一部が最終的に田代に渡っていることから、田代への金銭の支払に合理的な理由があったことをいうため、本件一〇〇〇万円が全自連のためになされた質問主意書の対価ということを認めざるをえないという心理状態に陥った。右供述は、このような心理を巧みに利用しながら、検察官の誘導によって得られたものであり、信用できない。」旨主張する。

たしかに、被告人らは、捜査段階において、昭和五五年から五九年まで毎年四人で五〇〇万円を田代に渡したが、これは本来全自連が負担すべき金銭であったとして、全自連の会計からそれに見合う金銭を着服したものであると供述している。しかし、田代に渡した金銭の趣旨が賄賂であったか否かは、業務上横領の嫌疑を受けた被告人にとって、その汚名を少しでも和らげる上でそれほどの違いがあるとは思われず、少なくとも、「一身限り」は撤廃され、全自連も解散したのちである取調べ段階において、賄賂と認めた方が政治献金というよりも有利であるという心理状態に陥ったものとは考えられない。

また、前述したとおり、本件一連の捜査は、全自連幹部らの業務上横領等の被疑事実の取調べから始まり、昭和六二年一〇月一三日と同年一一月三日の二度にわたり業務上横領等により公訴提起がなされ、右一一月三日から贈収賄の被疑事実についての取調べが開始されたが、その段階では、被告人らは、業務上横領等の嫌疑について、全て自白していたことが認められ、弁護人のいうように、仮に右嫌疑が被告人らにとって屈辱的であったとしても、自白しておきながら、その直後から行われた贈収賄の取調べに対して、業務上横領の嫌疑を晴らすため、あるいは汚名を和らげるために本件一〇〇〇万円の趣旨を偽って供述するというのは不自然である。

なお、前述のとおり、贈収賄に関する検察官調書の中には、身柄拘束中に取調べを受け、作成されたものもいくつか存するが、本件一〇〇〇万円の趣旨に関する調書は、いずれも、身柄拘束を受けない中で作成されたものであるうえ、被告人らの公判供述をみても、取調べ状況について、特に信用性に疑いを抱かせるような状況は窺えず、前述した背景事情にも符合し、捜査段階における供述は信用できる。

(2) 全自連四役及びEの公判廷における供述

被告人A、同B、同Dは、いずれも、公判廷において、本件一〇〇〇万円は、田代の選挙資金に供するための政治献金と供述している。

たしかに、右被告人らが、田代に贈った金銭の使途について、特定の認識を有していたわけではないが、田代が自由に使える金であって、これを選挙資金などにも用いると考えていた可能性は否定できない。しかし、一方で、右被告人らは、金銭を田代に贈った理由について、質問主意書の提出を含め、全自連のために尽力したことに対する謝礼でもあったという趣旨の供述をしており、賄賂性を否定しているわけではない(B三五回五二丁以下、D四〇回三〇丁以下、A四六回二五丁)。

また、被告人Cは、公判廷において、検察官の質問に対し、質問主意書の提出の謝礼を渡すことや、その金額を定めるに至った経緯などについて具体的かつ詳細な供述をしていたにもかかわらず、弁護人の質問に対しては、これといった理由や説明もなく、あいまいな供述をしているが、謝礼である趣旨を否定しているわけではない。

被告人Eも、公判廷において、本件一〇〇〇万円の趣旨を質問主意書の提出を含め、田代の全自連に対する尽力に対する謝礼の意味であることを供述しているが、賄賂性を認める供述と解される。

なお、被告人Bは、公判廷において、田代が政治資金規正法違反で検挙されるおそれがあったので、政治資金として一〇〇〇万円を交付したというのは不都合であるから、質問主意書の提出の謝礼であると供述したというが、むしろ、政治家にとっては、賄賂を受け取ったという方がその政治生命にとって致命的であって、Bの右供述は到底信用できない。

8 まとめ

以上を総合すると、前述のとおり、本件一〇〇〇万円はもっぱら質問主意書の提出に対する謝礼として授受がなされたものであり、賄賂であることは明らかである。

第二  業務上横領、背任について

一  はじめに

弁護人らは、業務上横領の大部分及び背任について、「一時的に借用したに過ぎないから不法領得の意思や財産上の損害を加える意思がない。功労金や報酬、立替金の返還として受領したのであるから横領の犯意がない。」などと主張するが、当裁判所は、公訴事実はいずれもその証明が十分であると判断した。

そこで、以下に、全自連の資金関係について述べたうえ、必要と思われる限度で、弁護人の主張に対して個別的に検討を加えることにする。

二  全自連の資金関係

関係証拠によると、以下の各事実が認められる。

1 全自連の会計

全自連では、一般経費(事務員に対する給与、大阪府砂利石材協同組合の事務所の一部を使用していたことによる賃料、出張費など)を賄うため組合員から入会金及びトン当たり一定額の賦課金を徴収してこれを一般会計としていた。

一方、前述したように、自家用船を営業船に転用するに際して、総連合との間で、自家用船の船腹量の三〇分の八を解撤することを条件に転用を認める旨の協定が成立したが、自家用船の多くは一杯船主といって一隻の砂利船を有しているに過ぎず、個々の船主から三〇分の八の解撤を求めることは不可能であった。このため、全自連に加入する組合員から解撤船を募り、その解撤の代償として一重量トン当たり四万円の解撤交付金を与えることとし、そのための資金を営業船への転用を希望する船主から解撤納付金として徴収することとした。なお、解撤納付金は、計算上当初一重量トン当たり一万四五〇〇円であり、その後一万八二〇〇円となり、最終的には二万五〇〇〇円となった。また、総連合に対しては解撤予定船が現実に解撤されるまでの間、一重量トン当たり五万円を解撤保証預託金として預けていたが、全自連は、これらの金銭の出納を、一般会計とは別に特別会計として計上していた。一般会計が僅かな金額しかなかったのに比べ、特別会計には多額の金銭が計上されていた。

2 剰余金の発生

ところで、一般会計は赤字続きであったが、特別会計は、解撤船が木造船の場合や海外に売却された場合(いずれも解撤とみなされる)は、解撤交付金の支払いが低額で済んだことから解撤交付金の財源に余剰が生じたり、前記解撤保証預託金は解撤不能に応じて全額没収される予定であったが、交渉を重ねた結果、昭和五五年一一月六日協定締結の際、解撤不足量の一重量トン当たり一万円を返還する旨の合意が交わされ、昭和五九年一〇月総連合との間で預託金の精算が行われたことなどの結果、昭和五九年一〇月三一日の決算時に五億四〇〇〇万円弱の剰余金が生じた。本件業務上横領および背任にかかる金銭は、すべてこの特別会計から捻出されている。

3 剰余金の使途

昭和五九年一二月九日、有馬温泉において、全自連の総会が開催され、前記剰余金の使途について討議がなされ、転用船主に対して一重量トン当たり一〇〇〇円を活性化資金として還付することとし、その余の約一億五〇〇〇万円については、その後の一身限りの制限撤廃の活動資金として用いられることになった。しかも、Aらは、岡山地方の全自連理事である山本智規らにいわゆる根回しをした結果、右山本の発議によって、使途の中には政治家への運動資金など表に出せない費目もあるという理由から、前記の約一億五〇〇〇万円については以後無監査にすることの決議がなされた。

なお、その後田代に贈られた年五〇〇万円の金銭や、昭和六〇年五月七日の一〇〇〇万円(判示第一の賄賂金)などは、この資金の中から支出されている。

三  個別的検討

1 Dの個人的横領の件(第二の一ないし三、一〇、一二)

被告人Dの弁護人は、Dは、本件金銭を一時的に流用したに過ぎず、返済する意思も能力もあったから不法領得の意思はなく、また任務違背の認識もなかったので、業務上横領罪は成立しないと主張する。

しかし、関係証拠によると、全自連には、役員を含め組合員に対する融資の制度はなく、また、Dが前記の各金銭を流用するに際してAら他の役員や組合員がこれを了承したと窺わせる事情も存しないところ、本件各流用はいずれも、Dの経営する九石工業の資金繰りやD個人の株取引の代金決済に充てるためにしたものであって、全自連の会計を担当していたDが、このように自己の個人的用途に充てる目的で全自連の金銭を流用した場合には、仮に一時借用の意図、すなわち後日返済する意思があったとしても、不法領得の意思を否定することはでぎず、業務上横領罪は成立すると解すべきである。

関係証拠によると、たしかに、被告人Dの個人資産は相当あり、D自身が完済したと誤解していたものを除くと、全てが、本件検挙前に返済がなされていることが認められるが、返済までの期間は早いので一七日、遅いのは二年三ケ月余りも経過しているのであって、到底不法領得の意思がなかったとみることはできない。

被告人Dは捜査段階においては、不法領得の意思を含めていずれも業務上横領の成立を認めていたのであるが、公判廷においてはこれを否定する。しかしその否定の内容は要するに一時的に借用したものであって、短期的で返済する意思があり、かつ、その確実な見込みもあったというのであって、必ずしも説得力のあるものではないが、なお若干個別的に検討してみる。

(1) 判示第二の一について

本件は、Dが、昭和五八年三月一八日、全自連の額面約一五〇〇万円の小切手を着服したというものであるが、関係証拠によると、前記九石工業の資金繰りのために費消されたことが認められる。

弁護人は、九石工業のため一時借用したに過ぎず、全自連に損失を及ぼすような意図は毛頭なかったのであるから、不法領得の意思が存しないと主張するが、一時流用が明示的若しくは黙示的に許容されている等特別の事情が存する場合を除いては、一時流用する意図そのものが不法領得の意思といわなければならない。

しかも、関係証拠によると、昭和五八年三月一八日に小切手を着服した後、額面金額を返済するに至ったのは、昭和六〇年四月四日であるが、それも、当時全自連の経理事務を担当していたFが、昭和六〇年三月末に後任の稲谷弘年と交代するにあたって、引継ぎができないとしてDに返済を要求したためであったことが認められる。

このように、その使途や返済の状況を考えると、単なる一時流用として不法領得の意思がなかったという弁解は採用できない。

(2) 判示第二の二について

本件は、Dが、昭和五八年七月二八日、全自連の額面八〇〇万円の小切手と四四万円余の現金を着服したというものであるが、関係証拠によると、D個人の株取引の決済資金のため費消されたものであることが認められる。しかも、これらを返済するに至ったのは、昭和六〇年四月四日であり、その経緯は前記(1)と同様であることを考えると、不法領得の意思がなかったという弁解は採用できない。

(3) 判示第二の三について

本件は、Dが、昭和五九年三月二七日、全自連の額面五〇〇〇万円の小切手を着服したというものであるが、これも、前記九石工業の資金繰りのために費消されたことが認められる。

弁護人は、例年三月は年度末で銀行事務が繁忙を極わめるため、四月になったら九石工業に金五〇〇万円を融資するとの内諾を得たうえ、三月二七日に全自連の資金五〇〇〇万円を一時借用したに過ぎず、かかる短期間の一時借用の場合は不法領得の意思のないことが明らかであり、少くともDとしては、全自連の会計担当副会長として、この程度の一時流用は許されているものと認識していた旨主張する。

Dあるいは九石工業が、三月二七日までに、四月になったら金五〇〇〇万円の融資を実行するとの内諾を銀行から取りつけていたかどうかは証拠上明らかでないが、四月一〇日に大阪銀行大正通支店から九石工業に対し金五〇〇〇万円が貸付けられ、同月一三日に全自連に対する返済がなされていることは弁護人主張のとおりである。しかし、前述のとおり、全自連の会計担当であるDが、全自連とは関係のない、自己の個人的用途に充てる目的で、全自連の金銭を利用することは許されないのであって、たとえ一〇日前後であったとしても、その金額が五〇〇〇万円もの多額であることを考えると、その間一時流用しようとする意思そのものが不法領得の意思と評価せざるを得ない。

また、Dが、この程度の一時流用は許されている旨認識していたとする点は、同人の捜査段階における供述に照らして到底採用できない。

従って業務上横領罪が成立することは明らかである。

(4) 判示第二の一〇について

本件は、DとEが、昭和六〇年四月二二日、全自連の現金合計七〇〇万円を着服したというものであるが、関係証拠によると、Dの株購入代金として費消されたことが認められる。しかも、昭和六二年八月六日、全自連の解散総会を目前にして、ようやく五四八万四〇〇〇円を返済しているに過ぎない。

このような使途や返済状況を考えると、業務上横領罪の成立は明らかである。

なお、被告人Eは、Dの右具体的使途についての認識はなかったものの、Dの個人的な用途に使用するものであることを認識しながら、本件犯行に加担したものであり、その業務内容や地位を考えると、共同正犯としての責任を免れない。

(5) 判示第二の一二について

本件も、DとEが、昭和六〇年一二月二四日、全自連から額面一〇〇〇万円の小切手を着服したものであるが、関係証拠によると、九石工業の資金繰りに費消されたことが認められる。しかも、Eが昭和六二年四月二三日検察庁の事情聴取を受け、そのEから催促を受けて、同月二八日返済していることが認められるのであって、このような使途や返済状況を考えると、一時借用であったとして不法領得の意思がなかったとは到底いえず、業務上横領罪の成立は明らかである。

なお、被告人Dは、本件金銭は、Aから指示され、全自連解散の際の行事費用にあてるため別途保管していたもので、解散行事が行われなかったため全額返済したものであると弁解しているが、そのような目的のために出金されたことを窺わせる形跡が全く見当たらないばかりか、関係証拠によると、本件小切手は、着服の二日後である昭和六〇年一二月二六日には九石工業の年末の決済に充てられていることが認められるので、(D・検六三、入江・検二七七、二七八)、被告人の弁解は信用することができない。

被告人Eは、Dの具体的使途については十分な認識がなかったものの、Dの個人的な使途であることを認識したうえこの犯行に加担しているのであって、共同正犯の責任は免れない。

2 Dの背任の件(第二の四)

本件は、Dが、自己の株取引の決済資金に充てるため、昭和五九年九月二五日、全自連名義で額面七七〇万円の小切手を振り出したという事案である。

弁護人は、全自連では、役職員に対する一時的な貸付が許されないわけではなく、所定の手続きに従って小切手が振り出され、会計帳簿上もDに対する仮払金と記載されているのであるから、任務違背にあたらず、財産上の損害も加えていないと主張する。

しかし、全自連が組合員に対する融資等をしていないことはもちろん、これを許容していると窺わせるような証拠も存しないことは前述のとおりである。本件では、Dの個人的な株取引の決済資金に費消されており、このような使途のために七七〇万円の小切手債務を全自連に負担させたこと自体、任務に違反したものであり、財産上の損害を加えたものといわなければならない。

3 四役の一五〇〇万円の件(第二の五)

本件は、被告人A、同B、同C、同Dが、昭和五九年一〇月五日、全自連の額面合計一五〇〇万円の小切手を着服したという事案であるが、右被告人らの弁護人は、本件金銭は、Cが、自家用船の営業船への転用に際して、解撤担当副会長として特に功労があったことによる功労金としてAらから受領したもので、被告人らに横領の犯意はなかったと主張する。

しかし、全自連では、役員に対する報酬は総会で定めることになっており、功労金についても同様と解されるが、後述するように、そのような決議が存したことは窺われない。しかも、関係証拠によると、本件は、Cの親族が経営する興生建設株式会社が船舶の解撤に協力したにもかかわらず、同社の船舶を転用する際に、申請の時期が遅かったため、解撤納付金の額が当初より高くなっており、Cがその差額に相当する約一五〇〇万円を全自連に要求し、他の役員がこれをやむなく了承したという経緯が認められる。そして、昭和五九年一〇月五日、額面合計一五〇〇万円の小切手をCに交付したのであるが、その出金に際しては、架空の解撤交付金を計上した簿外の現金から出金していることが認められる。また、証人C健二、同C朝臣の供述によると、本件発覚後、Cが興生建設に、実際は五〇〇万円しか渡してないのに、一五〇〇万円全額を渡したことにしてくれという依頼をして、偽装工作していることが認められるが、偽装の内容は、一五〇〇万円を前記興生建設株式会社に交付したように見せるものであって、公判廷での弁解の内容に沿わないものである。

以上の事情を総合すると、解撤担当理事としての功労金であったとする主張は到底採用できず、判示のとおり認定するのが相当である。

4 四役の四〇〇〇万円と二〇〇〇万円の件(第二の六、九)

本件は、被告人A、同B、同C、同D、同E、同Fが、昭和五九年一〇月三一日、全自連の現金四〇〇〇万円を着服したというものと、EとFを除く右四名が、昭和六〇年三月一二日、全自連の現金二〇〇〇万円を着服したというものである。

右被告人らの弁護人は、本件金銭は、全自連の四役であったAらが、全自連のため田代に献金をしたり、出張や日頃の勤務に際して出費した交通費等の立替金や、一〇年余にわたり全自連の役員として働いたことに対する報酬に相当する金銭を受領したもので、被告人らに横領の犯意はなかったと主張する。

また、被告人E、同Fの弁護人は、判示第二の六について、EとFは、他の被告人の指示に従っただけで、共謀の事実や利得の事実はなく、共同正犯の責任を負わないと主張する。

しかし、関係証拠によると、Aら四役が立替金や報酬などの具体的請求権を有していたとは認められず、本件金銭をこれらの請求権に基づいて受領したものとみることはできないし、不法領得の意思も認められ、業務上横領罪は成立すると判断される。

そこで、以下に、弁護人の主張する請求権の存否等について個別に検討することとする。

(1) Aら四役の権限について

全自連では、前述したとおり、総会で決議する事項以外は、Aら四役がその業務を全て決定していた。定款によると、事業計画及び収支予算、事業報告及び収支決算などのほか、役員の報酬が総会の決議事項として明示されており、一方、資産の管理については、会長が管理し、その管理方法は理事会の決議を得て会長が別に定めるとされていたが、必ずしも厳格な適用はされておらず、結局は、相当広範囲にわたる事項の決定がA会長ら四役の裁量に委ねられていたことが認められる。しかし、その裁量にも自ずと限界があり、自己の利益のために全自連の金銭を処分する場合にまで四役の裁量に委ねられていたものとは到底認められず、そのような場合は、やはり原則どおり、総会の決議を要するものと解すべきである。

(2) 田代に贈った金銭の立替金返還請求権について

関係証拠によると、Aら全自連の四役は、昭和五五年一二月から昭和五九年四月までの間に、五回にわたり毎年五〇〇万円を田代に贈っていたが、これらの金銭は個人で均等に負担しており、一人当たり六二五万円を支出していたことが認められる。また、その外に田代からパーティー券を購入したりもしていた。

これらの金銭は、その趣旨はともかく、当然には全自連が支出すべきものとはいえないが、捜査段階の被告人らの供述によると、例年の五〇〇万円については、「全自連の会計が乏しかったため、とりあえず自分たちで立て替えよう。」という話がなされていたことが認められる。また、昭和五九年一二月九日に開催された全自連の総会の決議において、政治家に対する金銭の支出を全自連の資金から出すことについて包括的な承認があったと解することができ、Aら四役は、これに基づき、昭和六〇年二月からは、右五〇〇万円を全自連の会計から支出している。右五〇〇万円の趣旨はその前後において変わることはなかったとみるのが相当であるから、Aらが、これらの五〇〇万円を全自連のために支出していたつもりであったことや、個人で負担した分については、立替金として返還してもらうよう期待していたことが窺われる。

しかし、それはあくまでも期待であって具体的な請求権とはいえず、これを立替金として全自連から返還を受けるような場合には、立替えた役員自身の判断に委ねるのは相当でなく、総会の決議を要するものと解すべきところ、総会でかかる決議がなされた事実は認められない。もっとも、昭和五九年一二月九日の総会において、政治家に対する金銭の支払いに対して包括的な承諾があったと解することもできることは前述のとおりであるが、判示第二の六については、金銭をD名義の銀行口座に振り込んで着服した時期は、それよりも前の同年一〇月三一日であるし、その際の承諾が、過去に支出した金銭についての補填の承諾までを含むものと解することは到底できない。

以上を総合すると、Aら四名が昭和五五年から五九年まで毎年五〇〇万円を田代に贈った金銭について、同人らが全自連に対して立替金返還請求権を有していたと認めることはできない。

(3) 交通費等の立替金について

被告人らの公判廷における供述によると、たしかに、タクシー代など、正規に請求すれば受領できる費用を請求しないままでいた可能性が認められる。

しかし、関係証拠によれば被告人らは、昭和五六、七年ころから取引先等に対する中元や歳暮の名目で全自連の資金から出金し、これを各人が受領していた外、昭和六〇年二月ころからは東京出張の名目で毎月一定の金銭を受領していたことが認められるが、これらの金銭は日頃のタクシー代や報酬に代るものとして受領していたと認めることができ、右のようなタクシー代などについては、その請求権がないか、もしくはこれを放棄したものと認めるのが相当である。

(4) 報酬請求権について

前述のとおり、全自連では、役員に対する報酬は総会で定めることになっているところ、前記昭和五九年一二月九日の総会において、役員に対する報酬、功労金の提案が一部の者からなされたが、「一身限り」の制限が撤廃されてから協議するということになり見送られた経緯があり、その他の総会において役員に報酬を支給する決議がなされたことはなく、また、前記のとおり、昭和五六、七年からは中元や歳暮名目で一定の金銭等を受領していたのであるから、Aら四役が全自連に対して具体的な役員報酬請求権を有していたとは認められない。

(5) 出金の態様

関係証拠によると、判示第二の六については、架空の解撤交付金を計上し、そこから四〇〇〇万円を出金しており、この態様だけをみても、被告人らの不法領得の意思を窺うことができる。

なお、判示第二の九については、Aに対する仮払いの形式をとっているが、これは、既に無監査の決議を得た後であるため、全自連の組合員に発覚することを心配する必要がなかったためであると考えられる。

(6) まとめ

以上のとおり、Aら四役が全自連に対して立替金や報酬などの請求権を有していたとは認められず、その出金の名目などから考えても、本件金銭をこれらの請求権に基づいて受領したとは考えられない。従って、これらの請求権の存在を前提とする弁護人の主張は採用できない。

また、EやFは、前記の事情を十分知りながら、判示第二の六の犯行に加担したものであり、その業務内容や地位を考えると、共同正犯としての責任を免れない。

(法令の適用)

一  被告人田代富士男

罰条

第一の一の事実 刑法一九七条一項後段

執行猶予 刑法二五条一項

追徴 刑法一九七条の五後段

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

二  被告人A

罰条

第一の二の事実

行為時 刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条、同じく罰金等臨時措置法三条一項一号

裁判時 刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正後の刑法一九八条

刑法六条、一〇条により、軽い行為時法の刑による(懲役刑選択、以下、経過規定の摘示は省略する。)。

第二の五ないし七、九の各事実 刑法六〇条、二五三条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

(刑及び犯情の最も重い第二の六の罪の刑に加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

三 被告人B、同C

罰条

第一の二の事実 刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条、同じく罰金等臨時措置法三条一項一号(懲役刑選択)

第二の五、六、九の各事実 刑法六〇条、二五三条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

(刑及び犯情の最も重いBについては第二の六の罪の刑、Cについては第二の五の罪の刑にそれぞれ加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

四 被告人D

罰条

第一の二の事実 刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条、同じく罰金等臨時措置法三条一項一号(懲役刑選択)

第二の一ないし三の各事実 刑法二五三条

第二の四の事実 平成三年法律第三一号による改正前の刑法二四七条、同じく罰金等臨時措置法三条一項一号(懲役刑選択)

第二の五ないし七、九、一〇、一二の各事実 刑法六〇条、二五三条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

(刑及び犯情の最も重い第二の六の罪の刑に加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

五 被告人E

罰条

第二の六、一〇、一二の各事実 刑法六〇条、二五三条

第二の一一、一三の各事実 刑法二五三条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

(犯情の最も重い第二の一一の罪の刑に加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

六 被告人F

罰条

第二の六の事実 刑法六〇条、二五三条

第二の八の事実 刑法二五三条

併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条

(犯情の最も重い第二の八の罪の刑に加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文、一八二条

(量刑の事情)

一  贈収賄について

本文は、自家用砂利船と営業砂利船との一本化に伴い、「一身限り」の制限が付されたことに端を発し、これを撤廃しようとした全自連の幹部であった被告人A、同B、同C、同Dが、全自連の事務局長であったEも加えて五名共謀のうえ、参議院議員であった被告人田代に、全自連に有利な行政指導を運輸省に求める内容の質問を内閣にして対して行うよう請託して、その報酬として現金一〇〇〇万円の賄賂を供与し、被告人田代がこれを受託して収受したという事案である。

国会法により国会議員に与えられた質問権は、内閣に対して広く国政の全般にわたる事実についての説明または意見の表明を求める権限であるが、議員から質問を受けた内閣は、これに答弁する義務を負い、当然のことながら、質問で指摘された事項の中に違法、不当な点あるいは適切を欠くものがある場合には、これを是正することになるわけであるから、質問すること自体に内閣に対する監督的機能が含まれているのであって、このような重大な権限の行使に金銭を支払い、あるいはこれを受取るということは、国会議員の職務の威信と公正を著しく害するものであるばかりか、これらの権限の行使が不公正になされたのではないかとの疑いを一般国民に抱かせ、ひいては、国政全般に対する国民の信頼を損なうことになり、その犯情は重いといわなくてはならない。弁護人らは、「一身限り」の制限は不当なものであり、また、当時、関西新空港の建設を目前に控え、右建設工事実現のためにも「一身限り」の制限の撤廃は時宜を得たものであると主張するが、国政に対する信頼を傷つけるような行為であることにはかわりなく、そこに金銭の授受が伴っている本件においてはその主張も色褪せるといわざるを得ない。

そこで、贈収賄事件における各被告人の量刑事情について個別的に言及する。

1  被告人田代について

被告人田代は、一貫して本件を否認しており、その反省の態度は窺えないといわざるをえず、その刑事責任は重いといわなくてはならない。

しかし、田代は、昭和五五年四月から全自連の依頼を受け、砂利船問題に関与するようになったのであるが、当初は金銭の授受もなく、問題に真摯に取り組み、課題であった砂利船の一本化を実現させている。その後に至って、毎年五〇〇万円の金銭を政治献金として受領するようになったが、これは全自連側からの申入れによるものであって、田代が要求したものではなく、本件一〇〇〇万円についても、田代から金銭を要求するようなことはなかったばかりか、当日茶封筒に入った現金を提供されて田代は一旦受領することを躊躇したことが、贈賄側被告人の供述によって明らかである。一方、請託の対象は、内閣に対する質問という、それ自体自己の国会議員としての力量、見識を問われかねない、従ってかなりの調査、検討を要する、いわば面倒な事柄であったにもかかわらず、田代としては「一身限り」の制限が不当なものであり、早急に撤廃されるべきものであるとの認識に立って、敢えてこれを受託したものであると推認される。

また、田代は、昭和四〇年から昭和六三年までの間参議院議員を連続して務め、長年にわたって国政に参画し、相応の貢献をしてきたと認められることなど酌量すべき事柄のあることが認められる。

2  被告人A、同B、同C、同Dについて

被告人Aは、贈賄側の責任者であり、その刑事責任は重いといわなくてはならない。

しかし、A自身は、砂利業界の有力者ということで、自らは直接的な利害関係がないにもかかわらず、請われて全自連の会長に就任し、一本化実現後は辞意を表明するも、「一身限り」の制限の撤廃を要請され、老齢にもかかわらず、全自連参加組合員のために、力を注いだことが認められる。

また、被告人B、同C、同Dは、いずれも本件贈賄に深く関与し、その刑事責任は重いというべきであるが、これらの者も、自らの事業が多忙であったにもかかわらず、Aとともに、全自連参加組合員のために、相応の力を注いでいたことが認められる。

二  業務上横領及び背任について

本件各犯行は、いずれも全自連の役員あるいは経理担当者としての地位を利用した犯行であり、その領得額や損害額の合計は二億一一〇〇万円余という多額であり、その個人の利得額は、Eの三六八万円余からDの一億一三〇〇万円余に及んでいる。これらの金銭が、多くは一杯船主とよばれる零細な業者が、苦しい経営の中から支出したものであることを考えると、被告人らの犯行は、多数の組合員の信頼を裏切るものといわなくてはならず、その刑事責任は誠に重い

そこで、業務上横領及び背任事件における各被告人の量刑事情について個別的に言及する。

1  被告人Aについて

被告人Aについては、個人の利得額は一五〇〇万円であり、しかも、他の被告人らを監督すべき立場にあったことを考えると、その刑事責任は重い。

しかし、Aは、他の役員がこれまで個人が支出した費用などを全自連の会計から補填しようと提案したところ、当初、これをたしなめるなどしていたことが認められる。また、田代に対して贈与していた例年の五〇〇万円について個人が負担した金額は一人当たり六二五万円に上り、正規の手続きを経ておれば全自連から受領できた可能性が存したことや、四役がこれまで役員として活動してきた内容から考えると、相応の報酬を総会で議決することもあり得たし、Aとしては、他の役員らの要望を受け、その一〇年間の努力を考えるに及んで、これを了承したという側面を否定できない。さらに、Aは、既に全自連解散後の精算人に対して、前記利得額を返済していることが認められる。

2  被告人Bについて

被告人Bについても、個人の利得額は一五〇〇万円と多額であり、その刑事責任は重い。しかし、既に前記利得額を返済していることが認められるし、被告人Aについて述べたように、正規の手続きを踏めば受領することも可能であった金銭が存することも否定できない。

3  被告人Cについて

被告人Cについては、個人の利得額は三〇〇〇万円と高額であり、しかも、判示第二の五の一五〇〇万円については、全く理由のない金銭であるにもかかわらず、強引に出金させたことが認められ、その刑事責任は重い。しかし、既に前記利得額を返済していることが認められるし、被告人Aについて述べたように、正規の手続きを踏めば受領することも可能であった金銭が存することも否定できない。

4  被告人Dについて

被告人Dについては、経理担当副会長の地位を利用して、多数回にわたり、横領行為や背任行為を重ねたものであり、その個人の利得額の合計は約一億一三〇〇万円余りと多額であり、その刑事責任は最も重いといわなくてはならない。しかし、そのうち約九八〇〇万円については、本件発覚前に既に返済しており、個人的使途に費消した分については、いずれもいずれ返済する意思があったことは否定できない。また、その余の利得額についても、既に返済していることが認められるし、被告人Aについて述べたように、正規の手続きを踏めば受領することも可能であった金銭が存することも否定できない。

5  被告人Eについて

被告人Eについては、個人の利得額は約三六八万円であるが、これは、事務局長の地位を利用して、解撤納付金を横領したものであり、その刑事責任は軽くない。しかし、前記利得額は既に返済していることが認められる。なお、共犯として起訴されている判示第二の六、一〇、一二の各犯行については個人としての利得はなかったことが認められる。

6  被告人Fについて

被告人Fについては、個人の利得額は約一四二九万円であるが、これは、経理担当職員の地位を利用して、全自連の会計から着服したものであり、その金額は多額であり、しかも、まだ一千万円余りの返済がなされておらず、その刑事責任は重い。しかし、四役らの身勝手な金銭支出を目の当たりにして、抵抗感が鈍磨した結果、本件犯行に及んだ面を否定できず、被告人なりの返済努力はしているものと認められる。

三  結論

以上の事情を総合考慮した結果、被告人七名に対し、主文の各刑に処したうえ、いずれもその刑の執行を猶予するのが相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋金次郎 裁判官山田陽三 裁判官小濱樹子)

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